あの日見ていた景色を

もうなんにもわからないけれど、これを書き始める5分ほど前、どこかに行ってしまいたいと強く思った。割といつもそういうことを考えている頭だけれど、今日はいちだんとその気持ちが強くて、もし仮に私の身体が家を持たない野良猫だったら、この21時の夜へ簡単に消え失せていただろう。

 

大学3年生の夏、私と友人はインターンシップの話をしながら帰りの電車に揺られていた。2年後に社会人として働いているなんて、当時の私たちにはまるで想像がつかなかった。中学生が職業体験の行き先を決めるような気分で、どこに申し込む?そこ定員少なくない?とか無邪気に盛り上がった。そうして、いつか本当に社会人になっても気軽に連絡してね、ちょくちょく会ったりしてさ、互いの近況なんかも話そうねと笑い合ったのを覚えている。2019年のことだった。

 

世界が新しい常識に飲みこまれた2020年の春、私たちは社会人になった。これまで普通だったものがいっぺんいひっくり返されて、できることとできないことが区別されて、そうして私たちは離ればなれになった。ちょくちょく会おうね、2019年に交わした約束は遠い昔の出来事のようで、あの帰りの電車の窓から眺めた風景もきっとそうして記憶の彼方に溺れていってしまうのかもしれないと思った。ホームで開くドアから入ってくる夏の風や蝉の声も、なんにも嘘なんかじゃないのに、時間の流れは残酷な呪文を唱えて、それらをおとぎ話に変えていく。こんなのってあんまりだ。瞼の裏に残る景色だけが本物になる。

 

明日の天気を調べたら、降水確率は30%の曇りときどき晴れになると出た。無邪気だった学生時代をなぞるように、その頃と同じ電車に乗って出掛けてもいいかもしれない。隣の座席に友人はいないけれど、きっと私が2022年の色であの日見ていた景色を描いてくるから。まもなく最高気温は25度を迎える。今年も茹だるような暑さがやってくるのだろう。