アンドロイドだから知らない

家でスマホを眺めていたら、父親に赤ちゃんの写真を見せられた。親戚のお兄ちゃんに女の子が生まれたらしい。

 

私が怠惰をやっている横でみんな大人になっていく。普通に生きていくことは難しい。仕事は慣れないし生き方がわからないし、人の心もわからない。子どもだったら好きなことだけして生きていても許されるのに、大人になると好きなことだけしていたら眉をひそめられる。子どものまま大人になる選択肢はみんなの中にはないんだなといつも思う。

 

小さい頃から人の心がわからない。わからない、というよりたぶん興味がなかった。両親にもあんたの考えていることはわからないとか、冷たい子だねとか言われる。だから最近は自分で自分のことをアンドロイドだと思うようにしている。人間の心がわからないアンドロイド。そう役割を振っておけば自分で自分を傷つけることも減るだろうから。

 

自分の外側で起きていることはぜんぶ自分には関係が無くて、私なんかが関わらなくたって世界は回っていくと思っている。今この瞬間に私の心臓が止まっても、世界中のガスや水道や電気が止まることはないし、国が滅びるわけじゃない。仕事で人手が足りなくなったとしてもなんだかんだ上手いことやっていくのが会社だし。私一人がいなくなったところで世界はなんにも困らない。だからぜんぶどうでもよかった。私ごときの価値をこの広い世界に、社会に見出さなくても別にいいと思っている。みんなそういう気持ちをどこにしまっているんだろう。それともそういうふうには考えないのか。自分は世界や社会と繋がっていて、その中で生きていると思っているのかもしれない。それだったら納得する。私は誰かと誰かのつながりの中で生きている自覚がまるごと欠落しているから。人はいつもひとりぼっちだと思っている。ひとりで生きてひとりで死ぬしかない。だって100年後には自分も友人も両親もいないじゃないか。

 

誰かの人生が進んでいくのを見たり聞いたりしてもあまり焦ることができないのもそのせいなんだろう。親戚のお兄ちゃんやかつての友人に子どもが生まれようと、中学校の同級生が結婚しようと。それはどこか遠い世界の物語で、私はただの読者でしかない。私は私の人生しか歩めないし、それ以外の人生のやり方はわからない。まだ若いとされる年齢だからこう思うのだろうか。30歳、35歳と年齢を重ねたら自分を世界の中に落とし込めるのだろうか。成人してから数年が経ったけれど、自分はもういつまでも大人になれないまま生きていくような気がしている。みんな何かを綺麗に諦めて大人になっていくのに自分にはできない。嘘をつくのも、人を好きになるのも、自分を騙していると思ってしまう。やりたいと思えないことをなんでみんなできるんだろう。

 

そういう気持ちもぜんぶ「アンドロイドだから」という言葉で片付けるようにすれば悩まなくて済む。私は今日もアンドロイドをやっている。レモネードは清水でできていて、レモンスカッシュは炭酸が入っている。先日訪れたカフェで店員さんに教えてもらった。こうしてアンドロイドはまた一つ賢くなる。