空っぽのステッキを振り続けている

子どもの頃から魔法少女になりたいと思ったことがないと思った。

育った家にテレビはあったし、どれみちゃんもプリキュアも見ていた幼少期だったけれど、その登場人物誰かに憧れたことはなくて、どちらかというと敵である悪役組織の面々たちが声を張り上げて叫ぶ主義主張に共感することの方が多い子どもだったかもしれない。

 

でも、少なくとも魔法少女たちがもつ見た目の「かわいい」には憧れたから、いろいろな魔法少女アイテムのおもちゃは買ってもらったけれど、私はその魔法少女たちになって敵を倒したいわけでも、誰かの役に立ちたいわけでもなかった。特別可愛いわけでもない、友達が多いわけでもない、明るい性格でもない。自分には無い、誰かのために踏ん張る気持ちだとか、信じたものをまっすぐ信じ抜く強さだとか、苦手なものに立ち向かう勇気だとか、幼いながらも感じていた自分が持たざる彼女らのキラキラした性質に憧れ続けていたし、そういう彼女たちだからこそかっこよく纏える「かわいい」を素敵だと思った。ただ、おもちゃのステッキを振るとき、彼女たちになりきる一種の高揚感を手にしながらも、どこかで「彼女たちとまるで違う私が、こんな遊びをして何になるんだろう」と諦める気持ちもあった。

 

職場を離れてしばらくが経つけれど、未だに当時の苦い記憶に苛まれる暮らしをしている。入社後半年で迎えた繁忙期の忙しさと続々と起こるイレギュラー対応についていけず心をすり減らし、休日も仕事のことが頭から離れず休まらなかったこと。休職後初めて迎えた日曜日の夕方、一人で過ごしたカフェで「明日からの1週間のために作り置きのおかずを作らなくてもいいんだ」と思えて景色に色が戻ったこと。希望に縋るように繰り返し聴き続けたアイドルの音楽があったこと。どれもが全部当時のままの感覚で思い出すことができて、まだ苦しさの破片は散らかったままだ。家で過ごす時間は嫌いではないし、むしろ好きだけれど、いつまでこうしているんだろうという不安と、じゃあ何をしたらこの不安から抜け出すことができるんだろうという不安、答えはなんとなくわかっていても踏み出した後の逆戻りが怖くて何もしたくない自分がいてすべてが恐ろしく見えてしまって、そういうものから逃れるようにカフェに出かけることが増えた。何かに憧れる気持ちは残っているのに、最初の一歩の踏み出し方を忘れてしまった。なんだってできるはずだし、今からでもできることはたくさんあると心は信じたがっているけれど、ただ無邪気なだけでは大人は社会の乗組員として認められない。

 

でも、何も知らない人がこの日記を読んだら、すべては何もしない自分を正当化するための言い訳にしか見えないだろうから、結局どうにかして一歩を踏み出すしかないのだろうと思う。とりあえずやってみること。先週配信で見たラストライブで、メンバーの一人がそんなことを語っていた。できるかできないかじゃなく、やるかやらないか。大人になるというのはそういうことなんだろう。

火にかけた鍋の中を見つめるとき

また少しずつ少しずつ、自分が何を考えて何をしたいか、客観的に自分を見ることができなくなりつつある感覚があり、完全にふさぎ込んでしまう前に今考えていることを書き残しておきたいから久しぶりに綴りに来た。大丈夫と大丈夫じゃないを繰り返し、いつ本当に大丈夫ではなくなるかわからないから、ギリギリ大丈夫なうちに手を打つ必要があるのは経験上わかっている。

 

昨年11月末から12月中旬にかけて、残業が1時間半~2時間が当たり前であるような忙しさが続くような生活をしていた。人によってはそのくらいの残業は日常茶飯事かもしれないが、私にとってみれば地獄である。家に帰れば20時は当たり前に過ぎ、遅いと22時頃になるような日もあった。かろうじて休憩は取るように努めていたが、30分休憩の日もそれなりにあったし、何よりストレス(主に苛立ち)から来るコンビニでの衝動買いがしょっちゅうだった。

 

繁忙期でない平時であっても、至急の対応が必要な依頼がしょっちゅう舞い込んでくるし、それらへの対応方法もまったくパターン化されておらず、業界未経験の初心者にとって心臓に悪いものばかりで職場にいる間は心がまったく休まらない。仕事をしに行っているのだから、多少の忙しさや面倒なことはどこの職場だってあるはず、誰だってそういうことは経験するもの。つらいのは自分だけじゃない──。そう言い聞かせてきたが、少しずつ限界が見え始めている感覚がある。トイレで涙を抑えることもしばしば。慢性的な不安と疲労感。希死念慮。3連休であっても、2日目の朝には既に翌々日からの労働で憂鬱さに苛まれている。

無音の空間にいると常に労働への憂鬱さが頭をよぎって重苦しい気分になるので、明るい音楽を聴いて必死に誤魔化す。低血圧のためか子どもの頃から朝は弱かったが、起きた際の倦怠感のレベルが入社当初より数段階上がっており、午後にならないとギアが上がらない。土曜日に早起きして出かけていく趣味も、今は睡眠を優先してしまって満足に楽しめているとは言い難い。何のための転職で、何のためのこの身分だったんだろう。当初思い描いていたものが全部叶うわけもないけれど、望んでいたものが1つも手に入らない境遇で文句を言わずに過ごせというのもまた過酷すぎやしないか。

 

人が亡くなる前、相続だとか家のことをどうするか遺された人に向けて書き記したものを遺言書なんて読んだりするが、このまま何十年と同じような生活が自分で続いたとして(ずっと同じだなんてありえるはずもないのだけれど)、そうした言葉を伝えておく相手はきっとこの世に存在しない。大学の文学の講義を履修していたとき、黒板に文字を書きながら教授が「私の将来の夢は孤独死だ」と言っていたけれど、同様に自分の将来の夢もそれであるというか、そうなるしかないんだろうという気持ちがもうぼんやりと、それこそ大学生の頃からずっとある。人と同じ屋根の下で生活して気が休まることがないからだ。

一人、静かな場所で揺れることのない水面のような心地で生きていたい。労働に人生を支配されたくない。有り余る富も権力もいらない。誰にも必要とされず認められもしなくても、細々とどうにか生きていられれば多くを求めない。心に余裕を持って、日常のせわしなさに飲み込まれないで生きていたい。呼吸の深さに気づける生活がしたい。誰か何かの幸せを祈れる自分でありたい。ただそれだけの人生である。逆に、それが叶わないのであれば私はこの人生に意味を見いだせない。生きていたって何もないまではないけれど、限りなくゼロに近い無駄とさえ思える。手作りのポトフの鍋をそっとかき混ぜるときのあたたかさのような、そんな安寧にずっと憧れている。

 

この社会に揉まれても折れない、それだけの心と体力が欲しかった。ないものをねだっても仕方が無いが、「正解」の道をあるけない自分が自分の脚で生きていくのは改めて難しいことなのだと再認識するのはいつも厳しくてつらくて、歩みを止めてしまいたいと思う。自分にとっての最適解を見つけるより先に寿命の方が先に尽きてしまっても何も不思議じゃないなと思ったりしている。一を認識して百を諦めるような、そういう弱さに折り合いをつけて生きていくのは難しいけれど、これもまた自分の人生に課せられた課題なんだろうなと思う。どこでなら、どんな環境でなら生きていられるんだろう。仕事がつらいのを環境のせいにして自分に非がないような文章を書いている自分のこともまるで好きではないが、じゃあどこでならつらいって言っていいんだろう。

 

社会人の多くが飲み込める理不尽やつらさを耐えられない自分のことが嫌い。そう母に言ってみたら「そんなに自分を責めなくていいよ」と言ってもらえたけれど、それはあくまで娘を思う家族からの視点だ。社会を構成する大人として見てみたらまるで不良品だ。だけれども、世の中には私と同じような悩みを持つ人もいるんだろう。その人たちが自分自身をそう卑下していたら、私は絶対に「そうですね、あなたはゴミですね」なんて言いたくないが、なぜ相手が自分だと簡単に傷つけるようなことを言えてしまうんだろう。自分を大切にすることと生きることは恐らくイコールで繋がっていて、それが私にとってはものすごく難しいことだと感じる。深く息を吸うこともままならない、そういう日々の中に訪れる安寧って遥か遠い夢物語のようで現実味がない。自分が求めているのはそういう幼稚で未熟な、どうしようもない理想郷なのかもしれない。60点で生きることに慣れることが人生に求めすぎないコツなのだと、永遠に実行できない身体で生きながら考えている。

誰かの日々を願うことが

休日、目が覚めてベッドから起き出して窓を開けたときに、からっとした秋の風が入り込んでくる夏の終わりが好きだ。今日は着ているものこそまだ夏のそれだけれど、この時間までクーラーをつけずに部屋の中で過ごすことができていて、確実に季節は進んでいるのだと感じる。作業をして一息つくとき、お伴に飲むものを冷たい麦茶にするか、あたたかい紅茶にするか少し悩んだ末に取り出したのはセイロンティーティーバッグ。先日実家から送られてきた荷物の中に入っていたそれは紅茶にしては珍しく、カップの縁に引っかけて抽出するタイプだった。慣れない手つきで裏面の説明書きを参考に、鼻歌を歌いながら湧かした熱湯を注ぐ。きっと1ヶ月後には、湯気が立ち上るこの光景がもっと似合う季節になっているんだろう。これから訪れる秋冬を思うと胸にあたたかい気持ちが広がった。

 

物心ついた頃から何もしない時間がいっとう好きだった。昼近くに目が覚めるベッドの中で見るスマホ、外から聞こえる車の走る音や子どもたちの声を聞きながら何もしないだけの午後、ようやく区切りがついて窓の外に広がる夕焼けを見上げた仕事の日の夕方。日々、忙しなく時間は流れていくけれど、こうやって何かそこにいる自分の輪郭を確かめるような瞬間がとても愛おしいと感じるし、それが私にとって大切な時間のように思う。焦らないこと。基準のわからない何かに飲み込まれないこと。この年齢まで生きてみても、なぜ生きているのかもどうやって生きていたいかも探し続けるばかりだけれど、ようやく自分を大切にすることに意識を向けられるようになってきたと感じる。心躍る瞬間も、くたびれて悲しくなってしまう日も、全部丸ごと抱きしめて自分の人生だ。口に放り込んだアーモンドパイの香ばしさが鼻に抜けた。こういう小さな幸せに気づくこと、それが自分を生かすことに繋がると信じて。

 

ここまで書いてみて再確認するけれど、未来というのは今日と明日を繰り返した先にあるものだと私は定義しているんだろう。穏やかに過ごせる休日も、憂鬱な明日も全部未来の自分が振り返ったときにとっては足跡で、そこに至るまでに歩いてきた道筋だ。どんなことを思ってもいい、どんな選択をしてもいい。ただ、感情と選択がちぐはぐにならなければ。先日会った人にそんなことを言ってもらえて、それが今に揺れる自分の心を支えるお守りになっている気がする。

 

このブログは、自分の心の整理のために始めたものだから、自分のためでしかないけれど、何か誰かとお喋りをするとき、連絡のためにキーボードを叩くとき、その時に紡ぐ祈りは「あなたに寄り添えていますように」ということだったりする。誰かのためにできることは多くはないかもしれないけれど、ここであなたを待っているから。いつでも止まり木になるから。そういう気持ちで、私は私の場所から何か誰かのために祈っていたいし、自分のことも大切にしていけたらいいと思っている。それは時にわかりにくいかもしれないけれど、届く人には届く愛の形であればいいと思う。誰かのためが、自然と自分のためになっているような、一見欲張りだけど叶えたい理想を持つことは悪いことではないと信じたい。理想が道しるべとなって、明日以降の私を照らすから。

 

さよならはいつか再会を叶えるための

今年に入って一番聴いている曲がNOMELON NOLEMONの『ミッドナイト・リフレクション』であることはほぼ間違いないような気がしていて、例えば洗濯物を干すときだとか食べた後の食器を洗うときなんかに繰り返し聴いているお気に入りの一曲になった。

個人差はあると思うけれど、音楽はそうやって少しずつ日常のどこかに溶け込んでいて、気づけばお気に入りのワンフレーズを口ずさんでいたり、勤務中の小休止のタイミングで歌詞とメロディーを反芻したりしている。少なくとも私はそんな感じで、日々に音楽があったし、逆に言えば音楽のない日々というの今からではだいぶ想像し難いものだと思う。だから『ミッドナイト・リフレクション』を一番聴いていた2月、私は今もこの曲を聴くと当時考えていたことや自分に降りかかった出来事を思い出すし、思い出すと言うよりも当時に引き戻されると表現した方がいいと思えるくらいその頃が背後に迫るような感覚がある。

 

このブログでも触れたけれど、今年の2月は最推しである競走馬が引退をした時期で、だからこの『ミッドナイト・リフレクション』を聴くと、当時胸に押し寄せていた感情が鮮明に蘇る。この曲の歌い出しは「さよならと聞こえた気がした」というものなんだけど、当時この曲を口ずさみながら未だ復帰の知らせが届かない彼を思って(もしかしたら彼と競馬場で会うことはもうないかもしれないな)と考えてもいた。たまたまの話だけれど、「もう競走馬の姿では会えないかも」と考えていたのが結果的に本当になってしまった。この冒頭を聴くだけで、そういう悲しさというかやるせなさというか、でもこれ以上の負担が彼の脚にのしかからなくてよかっただとか、全く論理的に説明できない当時抱えていた感情が、半年の時間を経てもなお大きなうねりとなって押し寄せてくる。会いたい、会えない、会えない。彼を応援してきた時間の中に大きな未練は残さないようにしてきたけれど、再会を待ち焦がれていた相手からの「さよなら」の知らせは、彼を希望に生きることを覚えてしまった後の身体には大きな損失だった。

 

競走馬の彼にはもう会えない。だけど来月、種牡馬となった彼に会いに行くことを決めた。深夜、「会える」という情報をスマホを見つけた瞬間に決めた。ほぼ衝動だった。彼が好きだから会いに行く、会えるのなら会いに行く。ただそれだけの理由でもう飛行機を予約してしまったし、ホテルも取ってしまった。

ちょうど2年前の夏も同じく北海道で走る彼に会いたくてこんなふうに勢いだけで旅程を汲んで会いに行ったことを思い出すと、当時と今とで彼に向ける気持ちの大きさは何も変わっていないんだなと思うし、「会いたい」に突き動かされて決めてしまう自分のこともしょうがないなと思いつつそれほど嫌いにもなれない。

ここから先約1ヶ月、間違いなく彼に会うことが日々を生きる理由になるし、誰か何かに会いたいから毎日を乗り越えていけるのは美しいことだと感じる。いつか機会があったら絶対会いに行く。そういう気持ちで半年を過してきたけれど、本当に叶いそうになっている現実を前に急展開過ぎて目が回る気もするけれど、少しくらい目まぐるしくて嬉しさの波に溺れている方がきっと私は上手に呼吸ができる気がする。

 

うまく行かない日もあればうまく行く日もある。0と100じゃなくて、もっと程度にグラデーションを持たせて生きてもいいこと。こんなもんだよなという言葉が意外とお守りになって立ち直る勇気をくれること。この2ヶ月で発見したそういうことも、馬房越しに彼に会えたら報告したいなと思っていたりする。ずっと会いたかったし、大好きだよと伝えたい(彼は馬だから人の言葉は理解できないけれど、それでもだ)。明日もちゃんと生きるから、だからどうか、計画立てたこの旅が良いものになりますように。何より彼も、健やかに生きていてくれますように。生き延びることを重ねていったら彼に会えるから、明日も頑張ってみようと思えることが今はすごく嬉しい。

この身体に許された自由

意識してもいなかったけれど、私にとって本音で話すことはあと何回生まれ変わったらできるようになるんだろうと考えてしまう程度には難しいことで、そのことに気づくまでにおよそ20年もかかってしまうのだから人生にはいくら時間があっても足りない。それに気づいたきっかけは、同じようにそう語るひとがいたからだと思う。

 

3連休の前夜、何も考えられないままの身体でキッチンに立って、レトルトの親子丼とひじきの煮物を皿に移し、冷凍のブロッコリーでレンチンのお浸しを作る。考えられなくても、生きるためにただ身体が動く。ぼんやりと思うことだけど、日用品だとか調味料だとか化粧水だとか、日常的に使っているものってなぜかいつも同時になくなるような気がする。今はドレッシングと醤油、焼き肉のタレがなくなりそうだから次スーパーに行ったら買わないといけない。時間があるときには調味料を複数混ぜた味付けをする料理ができるけれど、最近はこれを使えば味がつく、の精神で焼き肉のタレに頼る場面が増えた。

 

先週末から休みが待ち遠しかったけれど、いざ連休の前夜になると何をして良いか分からなくなってしまったから久しぶりに日記を綴ることにした。私は今、何をしたら自分を満たせるのだろう。何をしたら自分をいたわれるのだろう。月は1ヶ月の中でゆっくりと自分を失っても、またゆっくりと失ったものを取り戻してゆくところが美しいと思う。人にもきっとゆっくりと自分を見つめるための時間が必要であるはずなんだけど、気づいたら1週間が終わっているような時間の数え方をしているからやっぱり社会に馴染むのは難しいなと思う。それこそ、本音で話をするのと同じくらいに。大丈夫になりたい。社会に出た頃から変わらないその願いは今もまだ叶っていると思えないし、もしかしたら一生叶わないような気もしている。

 

足を止めずに進み続けることが正しい世界の中で、立ち止まって考えたい私の居場所はあるんだろうかとか、そういうことを考えて黙り込んでしまうから苦しい。でも、できることならそんな自分を大切にしてあげたいし、愛してもあげたかった。誰かを思う気持ちの大きさと同じくらいの量で自分のことも大切にできるようになったらもう少し肩の力を抜いて街を歩けるようになるのかもしれないけれど、今はまだそれに気づけただけでも充分だとも思う。人は誰しも完璧じゃないし、ないものを見つめだしたらその欲望は暴走してしまうから。いつか手に入るかもしれないし、手に入らなくてもそれもまた自分の人生かもしれない。誰か何かと比較して羨む生き方だけはしたくないから、今の自分が何を思っていてどうしたいか、それを無視せずに拾うことを意識したい。

 

今夜眠って朝日が昇ったら、明日の自分は何をしていたいだろうか。泳ぐ魚を見に行くのも良いし、夜の散歩をするのでもいいし、何もしなくたっていい。自由だ。私はどこにでも行けるしなんだってしていい。この身体に許された人生の時間を静かに噛みしめること、それが私にとっての生きることなんだと思う。

真綿と荒波

新しい職場で働き始めて迎える金曜もこれで3度目だ。これまでの1年と少しの間、曜日を意識せず、ただ道に伸びる影の長さや風の音なんかで毎日を数えるような暮らしをしていた。それは確かに当時の自分に必要な時間だったと思うし、そのような時間の流れの中にいたことを今の自分はちゃんと肯定してあげられている。自分のために時間を使うこと。心ときめくものに囲まれていいこと。自分の感情をただ「そう」と認めること。他人の感情や問題を自分の中に持ち込んで、責任を感じすぎないこと。そういう何気ないけれど確かにこれから先、一瞬と呼ぶには長い人生を歩いて行くためにきっと役に立つヒントを学んで過ごした1年だった。やわらかい人たちに囲まれて、責められることはなくて、ただ把握と受容がそこにあった。それに幾度となく救われた。

 

今日の職場では業務の引き継ぎと改善についてのミーティングが開かれて、耳を傾けながら(入ったばかりでわからないことがほとんどだから私が発言できることはほぼない)、言葉の選び方で人の気持ちは様々に動くし、その逆もあるのかもしれないと考えていた。自分が何かを言われたわけではないけれど、まるで訊問のような形式で行われるそれは、果たして言われた側の気持ちやモチベーションを高める効果があったのだろうかと考えてしまった。もし自分が、何かそういう立場についたのならどういう伝え方をしただろう。私から届ける言葉は、誰かの心をあたためたり励ましたり、そっと背中を押すために使いたい。誰かを傷つけたり、蔑んだり、蹴落としたり。そういうことのために使いたくなかった。

 

私たちは、利益を出して生き残る者が正しいサバイバルゲームの世界、資本主義社会に生きている。社会から離れて感性のみの中に生きているとすっかり忘れてしまうけれど、自分が戻ったのはそういう場所で、だからこうして、心を曇らせた出来事や感情について整理する時間が必要だし、その時間と行為は私に取っての解毒薬になるのだと思う。いつしか別の場所で自分の創作や言葉の原動力を振り返ってみて、それが「悲しさ」であると結論づけたことがある。それは今も昔も変わらなくて、ただその「悲しさ」を今の自分なら以前よりも上手に寄り添ってあげられるような気もしている。今日のミーティングをきっかけに考えていた言葉の選び方についても、結局その裏側にあったのは人と人とのコミュニケーションで生じる摩擦を憂う心だったし、でも同時にそれを「自分はそうなりたくないんだね」と静かに見つめることもできたと思う。なりたい姿がある。それを定められたと思えば、悲しさでできるシミはきっと1つ減った。

 

明日は休日だからアラームをかけずに心ゆくまで眠りたい。日が沈んで街が藍色になる頃に、サンダルを履いて家を出たい。爪先はゴールドのラメを散りばめたピスタチオのネイルで彩ってある。6月とは思えない暑さが続いているし、その暑さに体力がじりじりと奪われるから夏はあまり得意ではない。でも、日々を生きていくために必要な小さな幸せを感じ取るためにも休息と栄養をきちんと取ること、それは忘れたくないと思う。

金色の君へ贈る花束

「仁川のターフに金色の春風」。これを聞いて何かわかる人とはきっと、同じ光景が瞼の裏に浮かんでいるはず。

2月19日の15時過ぎ、自宅で作業の合間にスマホを覗いた私に「ジャックドールがJRAの競走馬登録を屈腱炎再発のために抹消」というニュース記事が飛び込んできた。え、と小さく声を上げ、その画面を開いたまま私はその場から動けずに固まってしまった。2023年の天皇賞(秋)の後、右前浅屈腱炎のために休養に入り、それから1年と少しが経ったタイミングでの引退報道だった。

 

ジャックドール。栗毛に四白流星が美しい競走馬で、私は彼をここ数年で一番特別で大好きな推しだと思って過ごしてきた。

 

報道から数日経っても、まだどこかその現実を受け止められていないような部分もあって、寂しい気持ちを吹き飛ばすべく、空元気で過ごしているような心地でいる。それでも、彼の次の仕事である種牡馬入りの詳細(種付け料金とか)が発表され、時間だけが容赦なく流れていく。ただ、どれだけ寂しがったところで引退の決定が覆るわけでもないし、次の仕事も決定している彼の未来をできるだけ祝福の気持ちで送り出したいのも事実だ。そのために、自分の中に渦巻くいろいろな感情や思い出を整理したいと思ったし、実は彼が引退するときはこういう文章を書こうと以前から決めていた。

ついにこの記事を書く日が来てしまったんだなあ、という寂しさは拭い切れないけれど、これまでとこれからを繋ぐあたたかい言葉を並べて彼を見送りたい。彼を知ってから引退までで見てきたものや考えていたことを振り返っていこうと思います。

 

出会いは雷鳴

私が彼を知ったのは2022年の香港カップだ。競馬を見始めたのが2021年の秋華賞。気になる馬は何頭かいつつも、ここまで熱を傾ける馬はジャックが初めてになる。日曜の15時になったら地上波で放送される競馬番組を見て重賞のレースをなんとなく見るようなチェックの仕方をしていた。そうして2022年の重賞レースも天皇賞(秋)まで終わり(ジャックもこのレースに出ていたのに、気にしていたのは別の馬だった。本当にまだジャックドールをしっかり認知できていなかった)、次の大きなレースは香港だね……という空気感が競馬ファンたちの間で広がっていた頃。

詳細な経緯はもうあまり覚えていないんだけど、傾向としては逃げ馬が好きだった私は、その出走メンバーの中にいるジャックドールも逃げを得意とすることを知ったんろう。あと単純に見た目が綺麗っぽい。今回の日本馬で気になるとしたら彼だな~~くらいの、ぼんやりとした認識をしていたと思う。

 

そうしていつものようにTwitterを見て過ごしていたある日。出走する現地の、香港競馬のアカウントが投稿した1本の動画が流れてきた。

そこには、手入れされた美しい栗毛を揺らしながらカメラに向かって歩いてくるメンコをつけた1頭の馬の姿があった。彼はカメラを見つけると、ちらりと視線を寄越してそのままふいっと視線を前方に向け、歩き去って行った。ただそれだけの動画だったけれど、これまで見ていた世界の色を塗り替えてなお有り余る感情が身体を駆け抜けていった。例えるのなら、雷が落ちたような衝撃。これが運命じゃなかったらなんだろう。この出来事がきっかけで初めてジャックドールという馬をしっかり認識した。レース結果はいいものではなかったけれど、また次のレースで本来の彼の走りを見られたらいいな、と思った。

 

戴冠の輝きに焦がれて

その香港カップの後、彼はしばらくの放牧に入った。この期間中にはこれまでの彼のレースやプロフィールなどを調べて過ごした。金色の美しく整った見た目から「金色の(黄金の、金髪の)貴公子」と呼ばれていること、逃げ・先行で走る馬であるということ、クラシックには未出走ながら着実に力をつけて5連勝で重賞ウィナーの仲間入りを果たしたこと、そのレースをレコードタイムで走破したこと、そして、3度挑戦したG1レースにはまだ手が届いていなかったこと。その全てが応援したくなる要素で、彼のことを知れば知るほど彼を好きになっていった。競馬の話から逸れてしまうんだけど、私は漫画やアニメの登場人物では主人公タイプよりは、主人公の隣にいつもいるポジションや、対立するポジションのキャラクターが好きで、だから……と言うとおかしいかもしれないけれど、私にとって彼のパーソナリティは好みど真ん中だったのだ。(見た目の華やかさはあるけれど)注目され始めたのは古馬になってから、という遅咲きの花が咲き誇る瞬間を見届けたいと思った。

次走がどこになるのか情報が出てこない間は、次G1レースに挑戦する機会があるのなら次こそ勝てますように……!と祈る日々でもあった。だって、やっぱり好きな馬には勝ってほしいと思うし、競走馬として生まれたのなら、その称号を手にしてほしいと思うから。

 

桜花美人の君がいた

そんな中決まった、次走・2023年大阪杯。ジャックは前年もこの大阪杯に挑戦している。これまで競馬場に行ったことがない私も、何もわからないなりにどうにかして現地に行きたい!行ってみよう!考えていて、当時お世話になったフォロワーさんと一緒に行く計画を立てた……が、個人的な用事で直前になって行けなくなってしまった。フォロワーさんにはめちゃくちゃ謝った。本当の本当に行きたくて悔しかったけれど、きっとジャックは勝ってくれる。そんな思いの中でレース当日がやってきた。

 

結果は1着。その知らせをTwitterで知って、移動中の山手線の中で控えめに喜んだのを覚えている。本当に胸がいっぱいだった。応援している馬が勝つのってこんなにも嬉しいんだ……と思った。4度目の挑戦のG1レースで戴冠。流れてくるたくさんの現地写真には、阪神競馬場の桜を背負って誇らしげに立つジャックの写真や、優勝レイをかけてもらっているジャックの写真があって、ああ本当に勝ったんだ……と涙が零れそうだった。もうずっとずっと嬉しかった。それから、次は絶対に現地に行く、そう誓った。

1600の熱、呼んだ名前

ジャックはデビュー以来2000mしか走ったことがないのはファンなら周知の事実である中、次走に選ばれたのは1600mのマイル戦・安田記念。その決定を知った時は私もええ?!という感じではあった。でも、陣営が「いける!」と自信を覗かせていたことや、ジャックの父・モーリスもマイルを得意とする馬であったこと、ジャックもそのモーリス譲りのマイラー体型と言われることもあり、そうだね……ジャックの可能性を信じてみるのはいいかもしれない、と抵抗感はそこまでなかった。というか、楽しみの方が大きかった。どんな走りを見せてくれるのだろうという期待感。今回は無事予定を調整することができ、前回の大阪杯で一緒に行く予定だったフォロワーさんと再び連絡を取り、一緒に観戦することに。(感謝!)

 

パドックは遠い位置からの見学になってしまったけれど、初めて生でジャックドールに会えて本当に本当に嬉しかった。その日の東京競馬場は初夏にしてはかなり暑くて、気温は30度前後あったと思う。夏本番にも近い日差しが降り注いでいた。

そんな中、ジャックたちがパドック周回を始めた頃から雲が出てきて、涼しい風が吹いてきた。この話はTwitterでも何度もしているんだけど、その風が後ろ姿のジャックのたてがみをさらりと揺らした瞬間が本当に美しくて、この世に王子さまって存在するんだな……本当に貴公子だな……と少女漫画の登場人物のようなことを思った。ずっと会いたかった存在。肉眼と記憶、両方にしっかりと焼き付けたくて、ただジャックを見つめた。

初めて生で見たジャックドール。

パドックの待機タイミングを誤って遠くからの撮影になってしまったけれど、とても楽しかった一日。

馬券を買ったのも人生で初めて。

 

レース結果は5着。タイムも1着と1秒以内に収まっているし、負けはしたけれどいいレースだったな、と今も思っている。何より、最後の直線で彼が一瞬先頭に立った瞬間は今も忘れられない。初のマイル戦、本場のマイラーの面々に太刀打ちできるスピードがあるのかどうか。おそらく、冷静な周囲の目はそういう評価だったと思うし、それが5番人気という数字に反映されている。だけど、そんな前評判を覆す勢いで最終直線で伸びてきたジャックに、あの日の会場はどよめいていた。えっ、ジャック?!と誰かが近くで言ったのをこの耳が確かに拾った。ジャックは強いんだから。勝手に自分のこと以上に誇らしくなった。あの日、熱気の渦の中で叫んだ「ジャックドール」の歓声の一部になれたことは、一生忘れられない宝物だと思う。翌日、少し喉が枯れた理由がジャックだったのは世界一幸せな声枯れだったと思う。

 

黄金の快速馬は沈まない

次走は再び距離を2000mに戻して、札幌記念に決定。ジャックは前年の覇者で、2連覇を賭けての出走だった。出走発表がレース1か月後に迫ったくらいのタイミングだったこと、大阪杯から間隔をそこまで開けず前走の安田記念を走ったこと、昨年既に獲っているタイトルであることなどを考慮して、「今年もここを走ることはないでしょ」と思っていたので、まさに寝耳に水状態。でも、ジャックが走るのなら国内であればどこであっても行かないと気が済まない!状態になっていた私は、どうにか飛行機とホテルの予約を完了させる。北海道に行くのも、1人で飛行機に乗るのも初めてで、不安が無いと言ったら嘘になるけれど、それよりも「ジャックに会いたい」という気持ちが大きかった。行かない、という選択肢はなかった。

そうしてやってきた札幌競馬場。思っていたより暑い!という感想だった。というか、湿度を感じた。北海道8月の感じがどういうものなのか、自分の中に基準となる感覚がないから比較のしようがないけれど、いや普通に本州の夏レベルに暑いんでは……??と思った(この日の札幌はかなり暑かった、と言われていた気がする)。当日は朝まで雨が降っていて、馬場のコンディションは稍重パドック待機中にも細かい雨が何度か降って、持参していたレインコートを被る場面もあった。ジャックが勝った昨年の札幌記念は晴れの良馬場だったから、今年は昨年とは違うかもなあ……という不安はあるにはあった。

 

それでも、パドックに登場したジャックはやっぱりかっこよかった。強い日差しがジャックの金色の馬体を赤々と光らせて、鍛えられたジャックの馬体は迫力あるものだった。これを前から2列目の至近距離でジャックを見られたことが本当に嬉しくて嬉しくて……というのも、この位置で見ることができたのは、そこで待機していた同担さんたちに混ぜていただけたから、というのがかなり大きい。この日はパドックからレース観戦まで、同担さんたちとご一緒させていただいて、それもジャックを応援してきた時間の中で深く印象に残っている出来事だ。本当に楽しかったです。

前から2列目で会えたジャックドール。夏の日差しを浴びて輝く栗毛が眩しかった。

パドック時の「あの目」が見れて感激。(今思うと「暑い……」っていう顔だったのかもしれない)

22年札幌記念覇者のジャックをイメージしたノンアルのカクテル。美味しかった。

いつだってジャックのことを一番に応援していた。

 

レース結果は6着。国内のレースで初めて掲示板を外した。乾ききらなかった洋芝と過酷な暑さが堪えたのかもしれない。最終直線で伸びを欠いたいつもと様子が違うジャックの姿に強い不安を抱きつつも、どうかその身体とメンタルが無事でありますように、と願うしかなかった。

 

ここ以外の場所で、この日のジャックについて思ったことを記しておきたくて書いた日記がある。それが当時の思いを一番如実に表せると思うから、長くなってしまうけれどその一部分を紹介したい。

黄金の快速馬は沈んだままでは終わりません。ひたむきな努力と実績に裏打ちされた実力を以て、再び1着の祝福を浴びる日まで、私はきっとずっと待っています。いえ、待ちます。

彼はまた一番にゴール版を駆け抜ける。そう思わせるほどに彼の走りは緻密で美しくて、追いつかせてくれない。金色の光を放つほどに眩しい走りで喝采を浴びる彼の姿を見る未来を、約束のように待ち侘びています。

 

それがどんな結末であっても

57.7

次走は昨年と同じローテで天皇賞(秋)。これも現地観戦することができた。

このレースに関しては今もまだ消化しきれていない。あの日、最後の直線で脚が残っていなくて進んでいけなかったジャックの姿を思い出すと(というか、現地では人が多くてモニターはほぼ見えなかったし、記憶も途切れ途切れ。後日一度だけこのレースを動画で見た時の感想も混じってしまうかも)、今もまだ胸が苦しくなる。

ラストランとなった馬券。ずっと大切にするね。

この日の出走メンバーみんなの馬体重。

ジャックが500キロ前後あって大きめなの、今振り返っても大好き。

 

この年は少頭数の11頭で争われることになり、ジャックは大外8枠10番からの発走となった。当時、レース前の陣営のコメントを見るに、逃げ以外の選択肢は考えていなかったように思う。それが勝利を掴むためのものだと信じての選択だっただろうし、だから私は何もその点に関して責める気持ちはない。ただ、一口に逃げと言っても様々にタイプがあって、あの日の逃げはジャックが得意とする「逃げ」の形ではなかった。今何をどう言ってもどうすることもできないけれど。

あの日は入場券しか取れなくて、人の頭と頭の間からターフビジョンを覗いていたんだけれど、なんだかもう、ただジャックに必死な人になっていた気がする。勝ってくれたらもちろん嬉しいけれど、無事に帰ってきてほしい。ファンファーレが鳴るのがこんなに恐ろしいレースはこれが初めてだった。いつもなら高揚感があるのに。まるで世界の終末を見届けるような人類の気持ちだった。

 

ゲートが開いて、内側に切り込んで行く姿を見た瞬間、(ああ、もう今日することって1つなんだな)と悟った。1000mの通過タイムは57.7秒。会場はどよめいていた。こんなペースで逃げるジャックを見たことがない。ジャックの脚が壊れてしまう。不謹慎にもそんなことを勝手に想像して泣きそうになった。

そこからゴールまでの記憶はあまりない。私の身長が足りないからターフビジョンもあまり見えなかった。ただ人がたくさんいて、盛り上がっていて、喜んでいる人がいる。でもジャックの名前は呼ばれない。気づいたらレースが終わっていた。結果はネットで見て知った。しばらく何も考えられなくて、最終12レースも見ないままようやく帰った。

 

晩秋の府中を歩く美の

ただ、この日もパドックで見たジャックは本当に輝いていたことだけはしっかり書き残しておきたいと思う。その日はやっぱりすごい人で、それにも関わらず私は暢気に昼ご飯を食べていたんだけど(内馬場で美味しそうなグルメフェスをしていて……)、この日もありがたく同担さんたちとご一緒させていただくことになって、ジャックが見える位置で彼の登場を待った。

12時前からジャックたちの登場まで多分3時間以上は待機していたと思う。このときがジャックに会うのは3回目だったけど、いつもジャックが出てくる時間が近づいてくると浮き足だった気持ちになる。早く会いたいのにあともう少しだけ後にしてほしい。会いたくないなんてことはないはずなのに、心の準備がいつまでもできなくて、でも会ったら世界で一番幸せな瞬間になると知っている。そんな最高の時間を楽しみたくて、ジャックに会いに行くときはいつもお気に入りのメイクや服を選んで気持ちを盛り上げるようにしていた。ジャックの視界に入っても(もちろんジャックがこちらを認知することなんてないだろうけど)大丈夫にしておきたかったのだ。

余談だけど、今年2025年の1月下旬に赤と黒のハートの色違い商品のイヤリングを買った。色違いのデザインで、店頭で見た瞬間に「ジャックの勝負服の色だ!復帰したら片耳ずつ赤と黒にしてつけていきたい」と思って購入を即決した。それは叶わない願いになってしまったけれど、こうやって競馬以外の用事で出かけたときに、赤と黒の商品を見ると自然をジャックが思い起こされるようになっていたのも、ジャックを好きになって2年の間に起きた変化の1つだった。

 

話を元に戻す。この日のジャックの馬体は私が今まで見た中で一番美しく輝いていたように思う。札幌で会った時のジャックは暑さでしんどそうにしていたけれど、この日は本当に体調が良さそうに見えた。

秋の高度の低い太陽の光を吸い込んで、彼のキャラメル色の馬体は芸術作品のようにそこにあった。スマホのカメラで撮った決して質の良い写真とは言えないその日の写真を持っているけれど、どの写真を見てもその栗毛は艶々と上質な光を放っている。

この日撮ったジャックで一番お気に入り。見返らない美人。

 

一方の本人(馬)はと言うと、集中した表情を見せつつも本当に可愛らしかった。ある特定の場所まで歩いてくると何かが気になるのか立ち止まろうとする仕草を見せ、厩務員さんに引っ張られたり、これは恐らく今回だけでなくいつもそうだったかもしれないが、厩務員さんの方へぐるりと何度も顔を向けながら歩いたり。本当に本当に可愛かった。大好きだと思った。

厩務員さんに顔を近づけるジャック。

何かが気になるのか立ち止まってしまい、「行くよ~」されているジャック。

 

これも一生忘れたくない思い出だから書いておきたいんだけど、この日、夢中でシャッターを切っていたら近くにいた誰かが「ジャックは可愛いねえ」ととても優しい声で話すのを聞いたのを覚えている。その方がどの馬を・もしくはどの騎手の・それ以外の誰のファンだったのかはわからないけれど、ジャックが愛されている事実を実感する瞬間が本当に嬉しい。

 

続く空の下、届く便りを待って

9ヶ月後も好きだから

2023年の天皇賞(秋)の後は休養に入り、その後2024年の1月に右前浅屈腱炎が判明。「全治9ヶ月」という発表に当初はどうなってしまうんだろう、と目の前が真っ暗になる心地がした。競走馬にとって不治の病と言われる屈腱炎。まさか自分の応援している馬がその病に見舞われるとは思っていなくて、その発表があった当日はただただ呆然とした。競走馬だから走ることが仕事であり運命だけど、その脚はガラスのように繊細なことは知っていたはずなのに。

ただのファンである私が考えても仕方がないけど、もしジャックが人の言葉を喋れたのならそのSOSを拾えただろうかとか、いつから痛みを抱えていたんだろうとか、そんなことを考えた。感動を与えてくれる彼の走りを支える脚の消耗のことなど、現地でレースの熱を浴びている瞬間の私では想像の及ばなかった部分で、ある日突然、感動と等価交換で突きつけられた現実はあまりにも唐突で残酷すぎた。

しかし、「症状としては軽い」ということで、少しだけほっとしたのを覚えている。ということは、早くて秋頃。1年近い時間だけど、ジャックも陣営のスタッフの方々も頑張ってくださるからきっと大丈夫。きっとよくなる。ジャックが競馬場にいなくても、ジャックを好きでいることはできる。ゆっくり待とうと思った。

巡る季節を数えた日々

冬が春に、春が夏になり、夏が秋になる。いま振り返ると、ジャックを待っていた時間は、街の表情が移ろいでいくのを敏感に感じ取ろうとした1年だったと思う。秋になったら、何か知らせがあるのかもしれない。復帰の目処が立つかもしれない。そんな日を夢見て。

出走のなかった2024年だけど、嬉しかったこともある。ぬいぐるみを始めとした様々なジャックのグッズが発売されたことだ。

まずはアイドルホースオーディションの件。2023年のアイドルホースオーディションで当時の現役馬部門2位に輝いたジャックはぬいぐるみの制作が内定していて、2023年の秋頃?に予約開始になっていたと思う。ターフィーショップで選びたいという気持ちはあったものの、ぬいぐるみになったジャックに早く会いたくてネット予約していた。2024年になって届いた完成品はものすごく可愛かった。競馬場に連れて行ったこともあるし、それ以外の場所にも一緒に出かけて何度も写真を撮った。サラコレからも複数グッズが出て、春頃に出たマスコットチェーンのぬい(店頭のクレーンゲームと1時間くらい格闘した)をお迎えしたり、それのビッグサイズのぬいぐるみも縁あってフォロワーさんにお譲りいただいたり(ありがとうございました!)。

ジャックのアイドルホースぬいが届いた日に撮影した写真。

右前足の靴下が長いのも再現されていて、作り手のこだわりを感じる。

アイドルホースぬいのジャック、サラコレのジャック2種類とで撮影会?

 

これらのぬいぐるみが出る以前から、大阪杯の勝利後にグッズが急激に増えた印象のあるジャックだけど(アクスタとかキーホルダー、トートバッグやステッカーなどが出ている)、こういう側面からもジャックが愛されていると感じて幸せだった。

 

夏頃には、リハビリセンターにいるジャックの様子がメディアを通じて伝えられたのも嬉しかった。競馬場で見るジャックはいつも、目力が強くてスイッチが入っている表情をしていたけれど、リハビリセンターではオフモードのようで、様々な写真や動画内に映し出されるジャックはどれも可愛らしい表情をしていたのが印象的だった。

特に雑誌の表紙にもなった、シャワーを浴びている写真は当時6歳の牡馬とは思えないキュートさが全開だ。前髪が濡れたまま優しい視線をこちらに向けているジャック。発売日を確認して、自宅近くのコンビニに買いに行ったのを覚えている。

シャワーを浴びてリラックスモードなジャックが表紙の雑誌。

そんな報道が盛んになってしばらくして、ファンの間でジャックがリハビリセンターを卒業したとの話が流れ始めた。ああ、復帰に向けていい準備が進んでいるのだと安心してしまった。

同担さん複数名で開催したジャックの誕生日会。

芝コースを眺めるぬいジャック。

カフェでも一緒。

 

明日からも「大好き」でいる自由

不変の祈り

ジャックも生きものだから、全てが計画通りに進むことなんてなかったんだろう。当初「9か月」と言われた時期を過ぎても、復帰についての情報は報道されないまま年が明けた。いつまでも待てると思ったし、急いで復帰するのが間違いであることは充分にわかっていた。だんだんと季節が流れていくことを強く意識しなくても、ジャックが不在の時間を寂しりすぎずに過ごせるようにはなっていったものの、ふとジャックのことを想えばやっぱり「また走るジャックに会いたい」という気持ちに襲われる。その再会を確かなものにしたくて、なるべく「きっとまた競馬場で会える」という思考を持つように努めていた一方で、なかなか情報が上がってこないことから「もしかしたら引退もあるかもしれないな」と秋を過ぎた頃から考えていたのも事実だ。

だから引退報道のあった2月19日、驚きで固まってしまったと同時に、例えるのなら「空白」という感覚と感情になったのは、その「会いたい」と「もしかしたら引退かも」の相反する両方を抱えていたために引き起こされた防御反応だったかもしれない。会いたい、と引退。どちらの未来に転んでも大丈夫なように、無意識のうちに自分の中で準備をしていた。ジャックの脚を考えて無理をしないことが一番ではありつつも、できるのなら復帰して走る姿が見たかった。空白だ、と感じたのは、そんな自分の複雑な本音を守るために引き起こされた防御反応なのかもね、と友人に話を聞いてもらいながら出てきた言葉だったような気がする。

 

ここまで書いてみても、まだ寂しさはあるし、きっとしばらくはどこかに悲しさを抱えたまま過ごす気がする。でも、ジャックはちゃんと生きているし次の仕事も決まっている。その事実に目を向けたら本当に喜ばしいことだと思うし、ジャックの将来を考えての引退という選択だったはずだ。もし屈腱炎を発症しなかったとしても、ジャックにはいつか引退したら何らかの次のステージが待っていて、その時のためにきっと無理をさせられる馬じゃないはず。その中で、屈腱炎を発症しても治療し現役続行および復帰を目指すことを決めたオーナー様や調教師をはじめとした陣営の方々、ケアをしてくださったスタッフの方々には感謝の気持ちでいっぱいでもある。そのケアのおかげで、ジャックは今日も生きていられる。

痛い思いをして走るジャックが見たいわけじゃない。ジャックにはいつも幸せでいてほしい。楽しく走って、しっかり眠って、ごはんを食べて、安全な場所で生きていてほしい。競走馬として走ることが仕事ではあるけれど、それが叶わない状態で走るジャックを見たくない。健康で、ずっとずっと幸せでいて。それがただ1つにして永遠の願いだから、ゆっくりでも引退という決定を受け止めて、ジャックの将来がどんなものになるか楽しみにしていたい。

 

たとえその姿が競馬場で見られなくなったとしても、これまでジャックに貰った感動や楽しかった記憶、感情の数々は消えたりなんかしない。そして何より、これからもジャックをずっと好きで応援し続けることは自由だ。引退で寂しい、と思った次の瞬間にはぐずぐずになりながらも「でも大好きだなあ」と呟きたくなってしまうような、そんな特別な1頭に出会えてよかった。ジャックがどんなにおじいちゃんになっても、栗毛エクレアと4本靴下可愛い~~って言うし、貴公子って呼び続けます。香港でのあの視線に射抜かれたそのときから、私の中でジャックはいつまでもいつまでも貴公子です。現役競走馬として走るジャックを知って、その歩む道のりを応援できてよかった。ジャックに代わる馬はいません。こんなにも焦がれた競走馬がいた事実を私は生涯忘れないし、ずっと語り継いでいきたいです。

ファンレターも引退までに3通送った。これは引退直前の1月下旬におくった3通目。

いつも話題や言葉選びに悩みながら、でもジャックを思い浮かべながら執筆する時間が好きだった。

 

金色の君へ贈る花束

自分の気持ちを整理しようとこれを書きはじめた当初、書き終える頃には気持ちもだいぶ落ち着けるのかなと思っていた。これを書き始めたのはたぶん2月22日頃で、この部分を書いているのは2月24日だ。実に2日間で1万字弱の文字を打ち込んでいることになるのだけど、これだけ書いてもまだまだ気持ちに整理がつけられたとは言い難い気がする。今日も、友人に少し話を聞いてもらっていたら途中で泣きそうになってしまったし、それってつまり寂しいと思っていることに他ならないから。大丈夫、とやっぱり寂しい、を何度も繰り返しながら、少しずつ整理がついていくものなのかもしれない。

でも、できるだけこの文章を暗いものにしたくないとは思っている。繰り返しになるけれど、ジャックを応援してきたこれまでの時間はとっても楽しくて、美しくて、その時間を通して得た喜びも悲しみも悔しさも、全部全力で本気だった。現役時代最後の瞬間を振り返るとき、それらをできるだけ綺麗な言葉で飾って送り出したいと思っていたから、この記事もそんな言葉で結ぼうと思います。

 

ジャックちゃん。あなたの全てを心から愛していました。黄金に輝く栗毛、おっきなエクレアと4本の脚全部に履いた長い靴下。厩舎の黒いメンコと黄色い頭絡が似合うところ。緻密で計算された美しい逃げを武器に、ストライドが大きくて低くそれでいて飛ぶような伸びやかな走り。パドックでちょっと鋭い目つきになってしまうところや、いつも一生懸命に走る真面目さも。こつこつと勝利を重ねた丁寧な戦績も。現役競走馬・ジャックドールを構成する全てが大好きで愛おしかったです。

きっとこれからもいろんな馬たちを見に競馬場へ行くけれど、その競馬場へ行こうと思ったのだって、ジャックちゃん以外の馬を好きになれたのだって、ジャックちゃんがいたから始まったし出会えました。競馬の楽しさを教えてくれてありがとう。たくさんの感動を日々の活力に換えて過ごした日々はこれからもこれまでも、永遠に褪せることのない宝物です。ジャックちゃんもどうかいつまでも元気で、脚が早くよくなりますように。これから先もジャックちゃんが幸せに過ごせるように祈っています。ジャックちゃんに出会えて本当によかった。これからも応援するし、これからもずっと大好きです。美しくてまぶしい、何にも代え難い特別な日々をありがとうございました。