2月27日

朝6時、すっかり耳にこびりついてしまったスマホのアラームが鳴る。平日の朝、冬のこの時間帯はまだ薄暗い。5分おきに鳴るスヌーズ、できることなら布団から抜け出したくないといつも思う。TwitterのTLをざっくり眺めて、まだまだ眠っていたい頭のまま、惰性で画面を親指でスクロールした。

朝6時25分、重い身体を起こして起き上がる。家を出るまで1時間。入社して最初の頃はアラームが鳴ったら20分以内には起きて、洗濯機を回してから出て行く朝もあったけれど、今はそんなことをする余裕は時間にも心にもどこにもない。低血圧で寝起きが悪いことを差し引いても、この安心できる布団から抜け出すのは苦痛だ。身体というよりも、心が一番重く感じる。今日は、掃除のために早く行かなければならないから、それでもどうにかこの時間に起きる。最近は通常の時間の出勤日だったら、アラームが鳴ってから平気で30分以上は布団から抜け出せない。

 

食前の薬、錠剤1錠と漢方2種類をぬるま湯で流し込む。水を電子レンジで温めたものだ。5年前から、胃やら腸やらが慢性的によくない。最近はこれでもマシなほうだ。同時進行でケトルにお湯を沸かす。これは水筒で職場に持って行く。夏の間、麦茶を作っていたときもあったけれど、飲みきって作らなければいけないのが面倒で結局3回くらいしか作らなかった。残りのティーバッグは、シンクの下に眠っている。

お湯を沸かす間に洗顔を済ませる。この季節であっても水で洗える精神を持ち合わせているのならそうしたいが、最大限に自分を甘やかして生きている私は、この数分のためにだって凍える思いをしたくない。37度のお湯で顔を洗って、化粧水と乳液で肌を整える。

雑なスキンケアを終えたら、10%引きで買った6切れ98円の食パンを使ってハムチーズサンドを作る。食パン2枚でハムとスライスチーズを挟み、電子レンジで1分温めただけのお手軽朝食。平日の朝、何を食べようか悩むことをしたくないから、何も考えず作ることができるこの朝食を、私は「脳死サンド」と呼んでいる。今日はホットミルク付きだ。

 

出勤までの時間を先延ばしするようにスマホを見ながら、ゆっくりと脳死サンドを食べる。そんな時間はないはずなのに。名残惜しい気持ちで最後の一口を食べ終えたら歯を磨く。仕事用の服に着替えて、必要最低限の化粧をする。与えられた時間は10分。使うのは全てドラッグストアで揃うプチプラ製品だ。会社に行く化粧だからこそ、良いものを使って気分を高めたい気持ちも非常にわかるが、毎日の化粧で使うアイテムにデパコスを使う金銭的余裕は私には無い。手取り16万(残業代は支給されない)を舐めないでいただきたい。休日遊びに行くときにだけ、そういうものを使うことにしている。

寝癖を水で濡らして、ドライヤーで乾かす。実家で生活していた頃は、寝癖直しのミストを使っていたけれど、今はそこまで買いそろえることに意識が向かない。実家は、冷蔵庫に食材が山ほど入っていたり、風呂が洗い場と湯船がきちんと分かれていたりする。ひとり暮らしをするようになって実家の経済力というか、そういった資源的な豊かさを実感するようになった。乾いた髪は、その日の気分でヘアオイルかバームを使って適当に仕上げる。この日、どちらを使ったのかはこれを書いている今、もう思い出せない。

作り置きしている弁当を冷凍庫から取り出して保冷バッグに入れる。上司は毎日コンビニのパンを食べているが、毎日コンビニで買い物をしていたらそれこそ確実に破産する。一見地味な出費だが、その積み重ねが一番の出費になる気がするから、昼食は基本的に自分で作ったものしか食べない。今週は油揚げとタマネギの卵とじ丼弁当だ。本当は鶏肉を買いたかったけれど、先月の出費を考えるとできるだけ節約したくて、家にあった食材だけで作ったらこうなった。生姜焼き弁当や野菜炒め弁当を持って行く週もある、安心してほしい。

 

水筒やハンカチなど、持って行くものを鞄に詰めてコートを羽織ってマフラーをした。あの満員電車では外すのに抵抗があるから、マスクもポケットに忍ばせる。ここまでやって、時刻はだいたい7時25分。あと5分以内に家を出なければいけない。最近新しく仲間に加わったぬいぐるみを撫でた。ふわふわでやさしい手触りだけは、どんな自堕落社会人でも平等に受け止めてくれる気がする。行ってきますと呟いて家を出た。たとえ、行ってらっしゃいの声が無くとも。ほぼ毎日履いているこの黒いパンプスも、新しいものを買った方がいいかもしれない。ヒールがなくて、歩きやすいのが好きなんだけどなあ。

 

電車で30分、駅から5分ほど歩いたところに勤務先はある。いつもの時間、いつもの電車を降りて改札を通り抜ける。地上に出るまではほとんどが階段だ。できるだけ何も考えないようにして、階段を上がった。はずだった。

なんだかその日はいつもと違った。急に灰色の雲が空を覆ってしまったように、私の心は急激に重さを増していった。そうして、目にはじわりと涙が浮かんだ。

胸を張って言えることじゃないけれど、私は労働という行為がそもそも好きじゃない。できることなら家から出たくないし、浮かべたくもない笑顔で挨拶するのだって正直面倒くさい。働かなくても毎日口座に5億円振り込まれてほしい!と思っているタイプの人間だ。この職場だって、全然好きじゃない。それでもどうにか自分をなだめて出勤していたはずなのに、涙がじわじわと溢れて止まってくれない。

 

でも、今日は早く行って掃除をしなければいけない日。なんのために早く起きて家を出たのかわからないじゃないか。そう言い聞かせてなんとか歩いた。でも、涙は止まってくれない。すれ違う人に変な顔をされても不思議じゃなかったはずだ。ずっと下を向いて歩いた。瞼の裏がじくじくと熱かった。

泣きながら会社の入っているビルに到着し、スマホで時間を確認する。始業10分前。まだ涙を止められるかもしれない。トイレの個室に入ってドアに鍵をかけた。涙はますます勢いを増してくる。ここが外じゃなかったら、声をあげて泣きたいくらいだった。始業時刻は迫っている。もう無理だと思った。今朝から下痢がひどくてと理由をつけて、欠勤の連絡を入れた。電話の向こうの上司は「気をつけて帰ってね」と言った。

 

それから30分、涙が止まらなくてトイレから出られなかった。2個しかない個室の1つを占領している申し訳なさ、でも変なタイミングで出たらゴミ捨てに出た社員と遭遇してしまうのではという恐怖、そして何より嘘をついてまで欠勤した罪悪感。今日こうなるよりもしばらく前、化粧までして結局家を出られずに欠勤連絡を入れた日が1回あったし、別の会社に勤めていた時代にも泣いて出勤したことがあったけれど、ほぼ職場に到着しているのにも関わらず、「おはようございます」が言えなかったのはこれが初めてだった。9時半過ぎの電車で家に帰って、メンタルクリニックを調べた。16時半に初診予約が取れて、診てもらうことになった。まだ身体が動く内にどうにかしたいと思った。そうして、昨日の日記に繋がる。適応障害で休職1ヶ月。

 

4年前の夏、別の会社に居た頃にも適応障害で1ヶ月半ほど休んだことがあるが、今回はまだその時に比べて症状が軽い。食欲は普通くらいあるし、眠れてもいる。職場のことを考えなければ気分は比較的落ち着いているし、買い物に出かけたいと考える気力も体力もある。1ヶ月後、自分がどんな生活をしているのか全くわからないが、原因となっている職場と縁を切っているのが一番健康に良いと思っている。

 

再びの冬になってしまった人生へまた春を呼び込めるように。できる限り食べたいものを食べて、たくさん眠って、忙しくてできていなかった趣味を楽しんで、心に栄養を取り込みたい。

 

 

 

 

忘れかけているもの

社会人1年目の夏からずっと、人生が社会に追いつけない感覚を抱えている。いつかそんな感覚も通り越して、諦めがついたのなら大人として働ける日が来るのだと信じていたけれど、三つ子の魂百までではないが、そんな私の子供じみた怠慢と甘えは何年社会人をやっても消えてくれそうにない。

 

昨日、久しぶりにメンタルクリニックに行ってきた。知らない街の、初めて会う先生。先生は淡々と私の話を聞き、悲しかったこと、苦しいこと、今後どうしていきたいかを的確に聞き出していく。初診だったにもかかわらず、即日で診断書を書いてくれた。適応障害、休養1ヶ月だそうだ。

 

思い返せば、私は幼い頃から自分で自分の感情がわからなかった。わからなかった、は少し言いすぎかもしれない。悲しい、嬉しい、楽しい。おおまかな感情はわかってはいたんだけれど、感情の種類がもっと細かく存在することや、存在してもいいことを自分自身に許せていなかったような気がする。そして、それらの感情はもっと表現してもいいものだと知ったのは大人になって何年も経った、ここ数年のことだ。

 

昨年、友人と行った花火大会で、声入りの動画を撮ってもらったんだけれど、そこに記録されていた私の声があんまりにも平坦で抑揚がなかったから、だいぶ驚いた記憶がある。打ち上がる花火の音と光に、何十年ぶりに著た浴衣の可愛らしさに確かに浮かれていたはずでも、スマホを通して伝わってくる自分の声は想像以上に淡泊だった。こんなはずじゃないのにな、と自分で自分に首をかしげた。

 

自分ではこんなにも感情ジェットコースターでごめん、とすら思っているのに、周りから見たら全然そうでもないらしいから驚く。感情がわかりにくいね、という言葉を、それぞれ細かなニュアンスは違えど、父親とその花火を見に行った友人と、前職と現職の上司に言われた。彼ら彼女らは時に諭すように、時に興味深げに、そして時にはそんなわかりにくい私に不満だという表情でそれを届けてくれた。私が、わかりにくいことを。でも、彼らは皆、私を放棄しなかったと今なら分かる。大切にしようとしてくれていた。してくれた。わかりにくい私を、一生懸命向き合おうとしてくれたのだと思う。

 

一方の私は、彼らの言葉に込められた愛に気づけなかった。そうして、孤独だと思い込んだ。知らない場所に移り住んで、誰も知らない場所で生活をすること。そうすれば全部大丈夫になると思っていた。でも、大丈夫にはなれなかった。大丈夫になるのは難しいことを私は忘れていた。「大丈夫」は簡単には手に入らない。いつだってそうだった、私は得体の知れない「大丈夫」を求めていつもどこかを彷徨っている。人生を遠回りし続けている。

社会人になって数年が経過した昨年、二人の友人から結婚の報告を受けた。もうそんな年齢に差し掛かっている。時間はいつも無情に流れていく。私はここに留まったまま。ずっと、私はこうやって生きていく気がしている。諦めだし、納得だし、納得するために理由をいくつも並べている。納得の中に生きるほかない。私の欲しい「大丈夫」も「納得」も、自分の中にしか答えは埋まっていないんだと思う。人生にデータ消去が存在するのなら、一度自分①のデータを全部消して、自分②のデータを作り直して再開したい。そんな後悔と羞恥に溢れている。

 

好きな音楽も、好きな服も、好きな景色も、しばらく触れていないと好きだった感情すら忘れていく。この期間を経たら取り戻せるだろうか。現に今、久しぶりでうまく綴れなくなった感情を確かめるように文字におこしながら、そんなことを考えている。     

 

 

いつか薄れてしまっても

信じられないけれど今年ももうあと残すところ数日で、駆け足で過ぎ去ってゆく一年の早さを改めて実感するなどしている。

年内最後の出勤だった今朝、地下鉄のホームから地上に出て見える東京タワーはいつもよりからりとした朱色に見えて、今日まで眠って起きるのをどうにか繰り返してこられた自分を認めてあげられるかもしれない、やりきった、そんな感想を抱いていることを気づかせてくれた。

 

好きだったアイドルが活動休止をしてまもなく3年になる。職場のパソコンからこっそり閲覧したゴシップ記事で、そのアイドルについて「バラエティ番組で見せてくれたやさしい笑顔が忘れられない」とコメントを寄せている人を見かけた。ああそうだったなと、画面の向こうで紡がれたファンの言葉に対して静かに相槌を打つ。職場の入っているビルは年末年始休暇によって静かで、私はとろりと眠さを持て余す。

 

彼と彼らが表舞台から少しだけ遠ざかると知り、嘘であってほしいと願った日もあったけれど、気づけば今その痛みも薄れて他に大切なものもできている。薄情だろうか。移り気だろうか。人は重要な物事から逃れたくて、目を背けたり忘れたりするようにできているのかもしれないと考えたことがある。その可能性に思い至ったとき、なんだか残酷すぎるんじゃないかと思いもしたけれど、同時にそれが人の本質であるような気もした。いつか忘れる。なかったことにだってなる。でも忘れたいわけじゃない。そういう積み重ねの元に生きている。

 

今年、久しぶりに年賀状を複数枚書くことになりそうな気がしている。その送り先全ては大学時代の友人たちだ。卒業してから会っていない友人の声や顔を、いつか思い出せなくなる日が来るだろうか。会えないまま、互いの幸せを願うだけの関係になるだろうか。もしそうなったとしても、私たちは友達だったと思っていていいだろうか。

ゆっくりと薄れていく日々を、今を肯定するためだけの材料にしないままで抱きしめる方法を知りたい。今年この街で過ごす最後の夜に、そんなことを考えている。

 

泡沫と永遠

新しい街での暮らしを始めて最初の夏が来た。職場の最寄り駅まわりは意外にも緑が多くて、最近はどこか近くの木でセミが鳴いている。鳴き声からしてあれはミンミンゼミだろうと思う。地元ではアブラゼミの大合唱が毎夏ものすごくて、外に出ると聴覚から体力を奪われる心地になったものだった。とにかく、仕事に関する勉強をしたり、そもそもひとり暮らしが初めてだったりと、自動的に月曜から金曜を過ごして気づけば7月も半ば。多少の小さな波はあれど心は比較的健康で、穏やかに慎ましくも幸せに暮らせている、と思う。

 

今日、久しぶりに3年前に一目惚れした音楽を聴いている。音楽は基本的に耳から聴くものだから、一目惚れという表現は少し違うのかもしれないけれど、当時私が欲しかった音は3年後、元気だけれどほんのすこし疲れてしまった私の心にもちゃんと届いた。そのときによって心が欲している音楽は様々だし、月日が経てばあの頃どうしようもなく琴線に触れたものがそうじゃなくなっていくなんて現象もあるものだけれど、この音楽は私にとってそうではないらしい。少しだけ寂しくて、忘れられないから忘れてほしくて、だけど本音では忘れないのだと月光を抱きしめるような、そんな歌だ。

 

物心ついた頃から、ずっと満たされない孤独のために誰かを傷つけてきたと思う。そう思えるようになったのはこの1年ほどのことで、それまではただ自分ばかりがつらいのだと叫ぶことしかできなかったことを申し訳なくも思うし未熟だと呆れてもいるし、だけど愛おしくも思う。過去の自分を全部肯定するわけでもないけれど、その自分が苦しんでも諦めずに繋いできた現在だから絶対に大切に日々を重ねたい。いつまでかわからないけれど、しばらくはこの街で生きていくんだろう。ずっと、という言葉を人生に使うのが今でもあまり得意ではないけれど、できるかぎりずっと、今のようななんでもない生活が続けばいいと思う。続けたいと願っている。

 

くらくらする夏の光が眼前まで迫っていた。せめて焼き尽くされないようにと、同じくらいに輝くことはできなくとも、この光に目を細めて木陰から見つめるくらいにはなりたいと思う。久しぶりに文章を書いたら、何が書きたかったのか全然まとまらなかった。夏を乗り切るために、おすすめのお茶やアイスクリームがあるのならぜひ教えてほしい。

片道切符で漕ぎ出して

なんだか唐突に春が来てしまったらしい。「らしい」などと他人事のような表現をするのはあまりにも唐突だったからで、現実が通り過ぎていく速度があまりにも早すぎて未だに実感が湧かないからだ。今年は桜の開花が例年より早いしついでに散り始めるのも早そうだが、私の現状とあまりにも重なり過ぎている。生き急いでいる。最近攻略したソシャゲのとあるキャラクターの育成ストーリーで、彼女は周辺から「生き急いでいる」ようだと言われていたが、周囲に何も相談することなく人生の決断をしてしまうような人間は皆揃ってどこか冬の終わりを待ちわびているような、春に希求するような瞳をしている。私の表情が他人から見たときどう映っているのかは知らないが、生き急いでいるとは自分でも思っていて、だけど生き急いだからこそ掴んだ結末を、最期まで責任を持って愛し抜きたいとも思う。

 

思えばずっと、誰かの視線があることが怖かった。自分の望んだものが周囲と違っていることに気づき始めた学生時代、強烈な違和感を抱いて、思えばそこから自我を探す旅は始まったのだと思う。自我、自意識、主体性。これらは私の人生において欠落していたものたちで、それがどんなに滑稽で奇天烈だとしても、自分の意志で選び取ることをしてみたかった。選ぶ生活を送りたかった。一人旅をしたとき、たとえばどこのお店で食事をとるかも自由だけれど、そういうところから私はいつも途方に暮れていて、だからこういう些細な生活の片隅に落ちている選択の練習を重ねて、自分に自信を持てるようになりたい。自由と責任、どこまで自分の脚で立っていられるか、いいや、きっとずっと自分の脚で立っていて見せる。冬に閉じ込められた景色に、光が差した。たったひとつの大切な存在のために飛び出す選択をすることを、間違いにも負けにもしたくない。私の人生における最高の誉にしてみせる。

まだ見ぬ景色を脳裏に描いて

何度目になるのかそろそろわからなくなってきたが、今日も退勤後ひとりで入ったトイレの個室で声を殺して泣いた。昨年の同じ頃も同じトイレの個室で泣いたことがあったが、あの頃から私の中で何かが成長しただとか前進しただとか、そういうまぶしい変化は果たしてあったのだろうか。もしあったとしても、それは私にとっては大きな成果であるだけで、社会で働く大人の立場からすれば別に大したことでもないし今さら何を、ということしか達成できていないような気がする。

 

今日は晩ご飯に茄子の煮付けを食べたが、たった10年前は煮た茄子のやわらかさが苦手で、自分から好んで箸を伸ばすことはなかったように思う。10年前、私はただ守られる立場の子どもであったことが懐かしいとも思うし羨ましいとも思うけれど、意志を持って何かを選び取りたいと考えている今の方がずっと人生を主体的に生きている気がする。人間の寿命は最長で120年だというのを聞いたことがあるが、そのうちの10年がこんなにもあっさり過ぎていくことに呆然としてしまうしその感覚の正体は恐怖と焦燥である気がする。じゃあ長生きがしたいのか、と聞かれれば全然そんなことはなくて、長くて70歳くらい、できることなら65歳か60歳くらいで瞼が開かなくなればいいと思っている。毎日溺れるほど酒を飲んで、睡眠時間を削って何かに打ち込めばそうなれるだろうか。

 

バスの最後部の座席に座って眺めた窓の外、アスファルトに春の光がやわらかく落ちるのを見た。春を連れてきてくれた存在の手を取って歩けるようになるまで、自分の脚で立つことを諦めたくないと思う。徒歩15分、1Kの部屋に帰る想像をする。白い波が遠くに見えて、潮の匂いが満ちた駅のホームに降り立つ想像をする。まだ見ぬ世界を脳裏に描いて、疑似旅行を楽しむ癖がやめられない。私を知る人がいない街での暮らしは、安堵の感情で満たされそうだから愛おしいと思いたくなる。明日は時間があれば黄金色のプリンを食べたい。

開かれない遺書

いま仕上げたい文章が同時にいくつも存在していて、どこに記そうとしていることも全部私の内面で間違いないんだけれど、書こうとしていることが全く違う内容やテーマだから、本当の私はどこにもいなくて、今見ているものや感じているものももしかしたら全部嘘かもしれないななんて考えている。大人になればなるほど内面の乖離について考える瞬間があまりにも多くなり、話してみると世間一般的にはそのようなことはまず考えずに過ごしている人間が多いことを知って、私がいつもさみしくて何かから置いてけぼりだと感じる一因はそこにあるのだと思う。

 

自分の脚で立ちたいけれど、もしかしたらもう一生叶わない目標かもしれないななんて最近はそこそこ絶望している節がある。一瞬だけ春を見た気がしたけれど、そんなものは私にはなかったんだと痛感する。一生冬のホワイトアウトした世界に生きていくしかないのかもしれない。遺書と称したアカウントを持っているけれど、重ねてきたつぶやきの数々があまりにも生々しい感情で満ちているから、まだこの世界からおさらばできない気がしてくる。離れられない地獄にいる心地だ。どんなに現実がつらくてインターネットに逃避しても、誰も助けてくれないことなんて知っている。自分は自分でしか救ってあげられない。もしこの心臓が血液を送り出すのをやめて、そこで吐き続けた言葉が誰かに届くことがあるのなら、それを見た人はどんなに気分が悪いだろうと思う。生まれてきてごめんなさいを繰り返すだけの人生で終わる気がしている。この記事はタイトルからして更新が止まりそうな雰囲気があるが、私はありえないくらい臆病なので間違っても自分から息を止めることはしないと思う。お願いなので、これを見てもどこにも通報しないでほしい。きちんと明日も朝のバスに揺られているだろうから。