宙に浮いた心を掴みに

自分の気持ちは言葉を選びさえすえば伝えてみてもよい、というのを学び、最近は少しずつそれを実行に移してみようと思える自信を持てるようになってきている。

 

これまでずっと、自分が黙ることで人生の平穏を保とうとしていた価値観の中に生きていた自分にとって、そうすることはつまり、波風を立てない生き方からの脱出であるから、少しだけ怖いと思うのも無理はないと思いもしている。初めて触れる体験に良くも悪くも心臓が高鳴る心地になるのと同じで、特にそれが意識的に避けていたことであるのならば、なおさら心臓が跳ねて落ち着かないのも仕方がないだろう。

 

いつからかわからないけれど、自分さえ黙っていればそこにいる人はみんな笑顔になれて、それによってもたらされる選択が幸せな結論であると思っていた。これも最近気づいたことだけれど、自分の気持ちを大事にするとか、自分の感じたことをそのまま信じるとか、それが自分のための選択になっているか?とか、その辺りの価値観もこれまで触れてこなかったもので、だからこそこれらの考え方がこの胸の中に育っているのを感じるとき、確実にこれまでの自分とは別の新しい自分に脱皮していくような心地になる。私以外の誰かのため、私以外の社会やコミュニティのために自分の気持ちはなかったことにする。それがこれまでの自分の中にあった判断基準で、誰かを尊重するためのやり方で、それが世界にとっての正しさだと信じていた。

 

同時に最近は、怒ることもだいぶ自然にできるようになってきているとも感じる。怒りは、自分や自分の大切なものを守りたくて発生する感情だということも学んだ。

この感情もこれまでずっと扱いをどうしていいか分からなかった感情で、でもそのどうしていいかわからないというのは、前述したとおり私が私自身を優先・尊重できていないから、行き場を設定しきれなかった自尊心が空中で浮いてしまっている状態であったんだというふうに解釈している。

 

自分の感情のために思ったことを伝えてみること、周りのために自分の心を無視しないこと、怒りを素直に感じること、これらは密接に繋がっている。まだ全部上手にできなくても、どこか一つでもできるようになってくれば、自ずと他もできるようになるんじゃないかと少しだけ期待が持てるようになった。

 

大人と呼ばれる年齢になって久しいけれど、何歳からだって吸収できるものや発見はあるはず。また一つ年齢を重ねようとする数日前にこのような文章を書けることは、きっと未来の私を助けると信じている。

青鹿毛と長月

転職して日が浅い頃、起きている出来事の要点が理解できないまま、それでも上司に報告をしなければいけなくなった経験があって、しどろもどろになりながら話していたら「何を言っているかわからない、もっとまとめて話して」と言われたことがある。話す内容は事前にまとめなければならない。そういう意識を強化したのはこの出来事があったからのように思いもする。

 

結局のところ、話すのが上手くない私は人から求められないし居場所もないような気がしている。聞くのもそんなに上手くはないと思う。耳から情報を拾ってそれを理解し、適切に打ち返すことは今も昔も難しい。

今日は連日の早起きによる寝不足が祟った思考の濁りがあるので、選ぶ言葉と考えるテーマの暗さが加速しているだけなのかもしれないが、それでもやっぱり社会に生きる大人で基本的に求められるのは、社交的な明るさとか話し上手聞き上手とかそういう要素である気がするし、私も実際そういった人と話した後はほっとするような気持ちになる。自分自身でその説を立証して、静かな諦めが価値観の底にべったりと張り付いているのを何度も何度も確認しているだけのような気がする。うまく人と関われないのなら、話せないのなら、できるだけ静かに一人で生きていた方が誰の迷惑にもならない。一人で生きられたらどんなに楽だっただろうか。私のような人間が生きていい場所は、この社会にあるのだろうか。

 

死にたくて、というか消えたくて自暴自棄になっていた頃、信じられたのは布団のあたたかさだけだった。今朝、窓を開けたら涼しい秋の風が入り込んできて、もうすぐ9月も終わるんだという実感が湧いた。あと1ヶ月後には、タオルケットじゃなくて布団をかけて眠る生活をしているんだろうか。夏が終わる気配が近づくとひどく安心するのは、秋の風が纏う寂しさが、消えることのない悲しさや諦めと近い温度をしていて、それらをそっと包んでくれるからなのかもしれない。

 

現在のスマホのロック画面には、こちらを穏やかな瞳で見つめる馬の写真を選んでいる。少しでも優しい気持ちで過ごしたくて、そのために生きものを見たり触れ合ったりするのは自分には意外と有効な手段なのかもしれない。いとおしいと感じる命ひとつひとつが一日でも長く輝いていてほしい。部屋の隅で膝を抱えて、ゆるやかに死を待つだけのような暮らしの私がそう願っている。

難しさの裏側にあるもの

病院を変えて2回目の通院日だった先日、外は梅雨らしい雨空で、サンダルの足元は駅を出て歩き始めたところで早々に濡れてしまった。中学生の頃、学校指定の白いスニーカーで通学していたけれど、土砂降りの日にそれを履いて登下校すると片道10分程度の距離であっても靴の中までしっかり濡れそぼってしまって、靴下が足にぺっとりと張り付く感覚が苦手だったのを思い出す。仕事をするようになってからも、1社目はスニーカーで通勤していたから、雨の日はそんな憂鬱な気持ちを抱えて車の運転席に乗り込んでいたような気がする。もっとも、仕事に行くこと自体が憂鬱であったのは否めないし、むしろそっちが本体ではあった。

 

振り返れば、来月で仕事というものに行かなくなって半年が経過する。朝……下手したら昼近くに起きて深夜は1時近くに眠り、また朝が来る。起きたら洗濯機を回して干し食事をし、日記を書いたり勉強したり、日によっては出かけたりもする、そんな生活が続いている。無職というのは時間がたっぷりあるから暇なんじゃないかと思われそうだけれど、意外と一日はあっという間に過ぎるもので、行動を詰め込んでしまった日には気づけば夕方になっているし、気づけば1週間、1ヶ月、そういうふうにして半年もの時間を自分と向き合うことと休むことに使ってきた。今もまだ、この生活が正しいのか、どこを目指して向かっているのかはよくわからない。休むべきだったのか進み続けるべきなのか、今の自分に休みが必要なのかもわからない。甘えているだけなのかもしれないと責める心も消えないし、そういう葛藤に押しつぶされそうな日もある。

 

社会は私がいなくても回り続けるしそんなものだけれど、しんどいと口にしながらも仕事を続けられる友人や家族、彼らを思い浮かべると私も同じようにしなければいけなかったような心地になる。でも同時に、つらさを我慢してまで働くって何?やりたくないことをやるって何?と思う心もまた事実で、なんとなくではあるけれど2度の経験からまた次これをしたら3度目の失敗が待ち受けているような気がする。

 

私の人生は私のものだし、私が設計してゆくものだけれど、指針となるものが自分の中に定まらない限りはどこにも行けないし何にもなれないのかもしれない。どう生きていたくて何が好きで、何をしたくないか、そういうことに向き合う時間を過ごしたようで過ごしてこなかった、つまりはなかったことにしてきたからこうなったんだと思うし全ては過去の私の責任なのだけれど、それを今さら責めたってどうにもならないし過去を変えられるものでもない。だから今、もういいよと思えるくらい休んで自分と向き合って、次を踏み出すための力を蓄えておく時間だと捉えるしかない。次失敗したら終わりなんてことはないだろうけれど、確実に溶けていく人生の残り時間を無為に過ごさないためにも、自分の心の声はきちんと聞いてあげたいし叶えられるものはなんだって叶えてあげたいと思う。自分らしく生きる、ということの難しさは裏を返せば楽しい、に繋がると信じて。

夜から続く朝に目を覚ませば

仕事を辞めてから、朝起きてカーテンを開けるのはいつもだいたい10時過ぎで、それはなんだかこの部屋だけが世間から切り離された場所のように感じる瞬間でもある。テレビすらない部屋だから、スマホかパソコンから音を流さない限りこの空間で文明の音は聞こえてこない。現代に接続する術をこの2台のみに頼っている構図だ。

 

カーテンを開けながら、ゴミ箱の蓋の上に置いてあるドライヤーが視界に目に入った。この家に暮らし始めた当初は、髪を乾かしたらきちんと押し入れの所定の位置にしまっていたけれど、それも数日で面倒くさくなって、結局定位置はゴミ箱の上になっている。乱れたコードをまとめながら、昨日の夜これを使ったときはカーテンも閉まっていて確かに夜だったのに、いま窓の外から伝わる光の白さは確実に昼のものなんだなと考えた。

夜と昼、毎日が当たり前のように連続していることなんて今さらの話だけれど、それが今の私にとっては、洞窟の奥に見つけた秘宝のように輝いている。思い返せば昨年の秋頃から段々と蝕まれていった心だったら、きっと昼と夜が繋がっていたことに気づけなかっただろうと思う。気がついても、それを好ましい事象には捉えなかったと思う。目まぐるしい現代で、仕事に追われる忙しさは誰かから見れば嬉しいことかもしれないが、日々の小さな変化や気づきを見落としてしまうくらいなら、ゆったりと流れる時間の中でこうしてぼんやりと考え事をしている方が私にとってよっぽど幸せのように思えた。

 

先日、通院する精神科を別のところに変えた。新しい病院の先生は若い男性の方で、こちらの拙い話も軽んじることなく目を合わせて聞いてくれる。関係を築いていくことが苦手だから、これからこの先生とうまくやっていけるかはまだ自信がないけれど、きちんと自分の状態を相談したい。話すことが億劫だと書いた先日よりはいくらか軽やかな心地でこれを書いている。日ごとに上昇する気温に季節の進みを感じる。そろそろ蝉が鳴き始めてもおかしくないな、と思った。

ただ藍の底で鎮静剤を

疲れたなと感じるときにピアノの旋律が美しい楽曲を聴きたくなるのは昔からで、それは幼い頃から高校2年の初夏まで音楽教室でピアノを習っていた影響かもしれない。他者と比較されることに消極的だった私が唯一自信があったのがピアノを弾くことで、振り返れば音楽という芸術のカテゴリにおいて優劣を競うことにどんな価値があるのかと大人になった私は疑問を抱くけれど、自分の中に絶対的な自信だとか道しるべになる大切なものを迷いなく抱えていられた子どもの頃は少しだけ強かったのかもしれないと今は思う。

 

ここしばらくはふとした瞬間に、考えていることすべてを秘匿しておきたい、あなたにこの思考の内を一切見せたくないという感情に強く動かされて苦しい瞬間がある。今この日記を書いている瞬間にもそういう感情が嵐のように私を荒れた遠くの沖へ連れて行こうとするから、それを少しでも宥めるためにピアノの音を聴こうと思った。私にとってピアノの音は薬、耳から摂取する鎮静剤だ。

 

その一方で言葉に失望してはいないから、可能な範囲で考えたことや感じたことは記録に残しておきたいと考えるし、だからこうして日記をつけている。声にはしなくとも、今の私は言語を通じて自分を伝えることに戸惑っていて、居る環境や向き合う課題がそうさせているのかもしれないけれど、「伝えることは苦手だ」というそれだけで思考を止めてしまって、伝える努力をしないのもまた違うと自分に課してもいる。自分を伝える、伝えない。それは信頼関係に基づいて範囲を決定するもので、だから私にとってセンシティブで難しい問題であると感じる。自分の心は自分に許された最初で最後の居場所だから、そう簡単に私は私の感情と思考を切り売りしたくない。この「最初で最後の居場所」というのは、心を落ち着けるために流しているはるまきごはんの「みかげ日記」のMVに描かれている深海に近いかもしれない。

 

大切なものだから隠しておきたい、根本にそういう考えがあることも否定しないまま生きていけるだろうか。伝えることを考えるのは同時に、伝わることが全ての大人の世界で、黙っていることの意味を見出したいという私自身が肯定されるための願望のようにも見える気がした。自分で自分の居場所を壊してしまわないように、今はただ藍色の海底でじっとこの心と向き合うための時間が欲しいと思う。

 

 

 

 

枷を嵌めたまま行く先に

「正直なところ 言葉に言葉の意味を求めすぎることに疲れてしまった この言葉の定義は?私にとってそれが適切か?と考えること、重要ではあるけれど今それをしたい気分ではないし必要としてない 疲れるだけなんだと思う」

 

そう綴った言葉に込められたのは疲労、だと思う。今の素直な気持ち。言葉で”正確に”自身の感情や物事の状態を表現する事への疲労。言葉は前に進むための道しるべになるし、それで誰かを癒やすこともできる。完全な手段ではないと思うけれど、言葉によってこれまでの人生で欲しいものやなりたい姿は叶えてきたと思っているから、それに疲れる日があるんだ、と気づいたのはなかなかショックだったし、けれど同時に愉快だとも感じた。だから、疲れた、とか言いながらこんなブログを書いてしまう。この「言葉への疲労」という状態に興味があるのだ。結局、私はどこまで行っても言葉に囚われている。それでいいや、別に。

 

気づいたら既に6月で、最近は防犯のために窓を閉めて寝ていると暑くてかなわないからクーラーをつけるようになった。最近話すようになった人に「夜、最近どうやって寝ていますか?」と聞いてみたけれど、具体的な方法は返答として返ってこなくて、ああ、みんなこの時期の室温や体温の調整には苦戦しているのかもなあと思った。大人になったら精神も経験値もアップデートされて、さぞ生きやすくなるのかといろんな意味で考えていたけれど、それはたぶん部分的に正解で部分的に間違いなんだと思う。初夏の夜の過ごし方なんて毎年経験するものだけど、毎年わからなくなるのはそういうものなのかもしれない。

 

グーグルマップで自宅から気になる場所への行き方を検索して旅をした気分になる遊びが好きだと気づいたのは、スマホを手にして何年経ってからのことかは忘れてしまった。とにかく、今の私はその遊びが好きで、最近もやっぱり海に行きたくて、自宅から一番近い海岸を調べては投稿されている写真を眺めて、その場所へ行った自分の気持ちを想像している。打ち返す波の音と、潮の匂いに現実を忘れたい。遠くに聞こえる車の走る音だとか、子どものはしゃぐ声だとか、そういうもの全てを遠い夢の中に置いてきた出来事のようにぼんやり遠くに聴きながら、太古から続く自然の現象のみに意識を預けさせてほしい。

 

考えないこと、思い詰めすぎないこと。それができるようになったらしなくていい苦労や心配がこの世にはたくさんあって、そういった生き方ができる人もたくさんいると思うと少し羨ましい。でも、抱えたこの精神と言葉の枷でどこまで歩いて行けるのか知りたいから、少しの休息と涙を連れて、海にだってその向こうにだって歩いて行ってみせる。これはきっと、そこへ至るための疲労だ。

 

 

2月27日

朝6時、すっかり耳にこびりついてしまったスマホのアラームが鳴る。平日の朝、冬のこの時間帯はまだ薄暗い。5分おきに鳴るスヌーズ、できることなら布団から抜け出したくないといつも思う。TwitterのTLをざっくり眺めて、まだまだ眠っていたい頭のまま、惰性で画面を親指でスクロールした。

朝6時25分、重い身体を起こして起き上がる。家を出るまで1時間。入社して最初の頃はアラームが鳴ったら20分以内には起きて、洗濯機を回してから出て行く朝もあったけれど、今はそんなことをする余裕は時間にも心にもどこにもない。低血圧で寝起きが悪いことを差し引いても、この安心できる布団から抜け出すのは苦痛だ。身体というよりも、心が一番重く感じる。今日は、掃除のために早く行かなければならないから、それでもどうにかこの時間に起きる。最近は通常の時間の出勤日だったら、アラームが鳴ってから平気で30分以上は布団から抜け出せない。

 

食前の薬、錠剤1錠と漢方2種類をぬるま湯で流し込む。水を電子レンジで温めたものだ。5年前から、胃やら腸やらが慢性的によくない。最近はこれでもマシなほうだ。同時進行でケトルにお湯を沸かす。これは水筒で職場に持って行く。夏の間、麦茶を作っていたときもあったけれど、飲みきって作らなければいけないのが面倒で結局3回くらいしか作らなかった。残りのティーバッグは、シンクの下に眠っている。

お湯を沸かす間に洗顔を済ませる。この季節であっても水で洗える精神を持ち合わせているのならそうしたいが、最大限に自分を甘やかして生きている私は、この数分のためにだって凍える思いをしたくない。37度のお湯で顔を洗って、化粧水と乳液で肌を整える。

雑なスキンケアを終えたら、10%引きで買った6切れ98円の食パンを使ってハムチーズサンドを作る。食パン2枚でハムとスライスチーズを挟み、電子レンジで1分温めただけのお手軽朝食。平日の朝、何を食べようか悩むことをしたくないから、何も考えず作ることができるこの朝食を、私は「脳死サンド」と呼んでいる。今日はホットミルク付きだ。

 

出勤までの時間を先延ばしするようにスマホを見ながら、ゆっくりと脳死サンドを食べる。そんな時間はないはずなのに。名残惜しい気持ちで最後の一口を食べ終えたら歯を磨く。仕事用の服に着替えて、必要最低限の化粧をする。与えられた時間は10分。使うのは全てドラッグストアで揃うプチプラ製品だ。会社に行く化粧だからこそ、良いものを使って気分を高めたい気持ちも非常にわかるが、毎日の化粧で使うアイテムにデパコスを使う金銭的余裕は私には無い。手取り16万(残業代は支給されない)を舐めないでいただきたい。休日遊びに行くときにだけ、そういうものを使うことにしている。

寝癖を水で濡らして、ドライヤーで乾かす。実家で生活していた頃は、寝癖直しのミストを使っていたけれど、今はそこまで買いそろえることに意識が向かない。実家は、冷蔵庫に食材が山ほど入っていたり、風呂が洗い場と湯船がきちんと分かれていたりする。ひとり暮らしをするようになって実家の経済力というか、そういった資源的な豊かさを実感するようになった。乾いた髪は、その日の気分でヘアオイルかバームを使って適当に仕上げる。この日、どちらを使ったのかはこれを書いている今、もう思い出せない。

作り置きしている弁当を冷凍庫から取り出して保冷バッグに入れる。上司は毎日コンビニのパンを食べているが、毎日コンビニで買い物をしていたらそれこそ確実に破産する。一見地味な出費だが、その積み重ねが一番の出費になる気がするから、昼食は基本的に自分で作ったものしか食べない。今週は油揚げとタマネギの卵とじ丼弁当だ。本当は鶏肉を買いたかったけれど、先月の出費を考えるとできるだけ節約したくて、家にあった食材だけで作ったらこうなった。生姜焼き弁当や野菜炒め弁当を持って行く週もある、安心してほしい。

 

水筒やハンカチなど、持って行くものを鞄に詰めてコートを羽織ってマフラーをした。あの満員電車では外すのに抵抗があるから、マスクもポケットに忍ばせる。ここまでやって、時刻はだいたい7時25分。あと5分以内に家を出なければいけない。最近新しく仲間に加わったぬいぐるみを撫でた。ふわふわでやさしい手触りだけは、どんな自堕落社会人でも平等に受け止めてくれる気がする。行ってきますと呟いて家を出た。たとえ、行ってらっしゃいの声が無くとも。ほぼ毎日履いているこの黒いパンプスも、新しいものを買った方がいいかもしれない。ヒールがなくて、歩きやすいのが好きなんだけどなあ。

 

電車で30分、駅から5分ほど歩いたところに勤務先はある。いつもの時間、いつもの電車を降りて改札を通り抜ける。地上に出るまではほとんどが階段だ。できるだけ何も考えないようにして、階段を上がった。はずだった。

なんだかその日はいつもと違った。急に灰色の雲が空を覆ってしまったように、私の心は急激に重さを増していった。そうして、目にはじわりと涙が浮かんだ。

胸を張って言えることじゃないけれど、私は労働という行為がそもそも好きじゃない。できることなら家から出たくないし、浮かべたくもない笑顔で挨拶するのだって正直面倒くさい。働かなくても毎日口座に5億円振り込まれてほしい!と思っているタイプの人間だ。この職場だって、全然好きじゃない。それでもどうにか自分をなだめて出勤していたはずなのに、涙がじわじわと溢れて止まってくれない。

 

でも、今日は早く行って掃除をしなければいけない日。なんのために早く起きて家を出たのかわからないじゃないか。そう言い聞かせてなんとか歩いた。でも、涙は止まってくれない。すれ違う人に変な顔をされても不思議じゃなかったはずだ。ずっと下を向いて歩いた。瞼の裏がじくじくと熱かった。

泣きながら会社の入っているビルに到着し、スマホで時間を確認する。始業10分前。まだ涙を止められるかもしれない。トイレの個室に入ってドアに鍵をかけた。涙はますます勢いを増してくる。ここが外じゃなかったら、声をあげて泣きたいくらいだった。始業時刻は迫っている。もう無理だと思った。今朝から下痢がひどくてと理由をつけて、欠勤の連絡を入れた。電話の向こうの上司は「気をつけて帰ってね」と言った。

 

それから30分、涙が止まらなくてトイレから出られなかった。2個しかない個室の1つを占領している申し訳なさ、でも変なタイミングで出たらゴミ捨てに出た社員と遭遇してしまうのではという恐怖、そして何より嘘をついてまで欠勤した罪悪感。今日こうなるよりもしばらく前、化粧までして結局家を出られずに欠勤連絡を入れた日が1回あったし、別の会社に勤めていた時代にも泣いて出勤したことがあったけれど、ほぼ職場に到着しているのにも関わらず、「おはようございます」が言えなかったのはこれが初めてだった。9時半過ぎの電車で家に帰って、メンタルクリニックを調べた。16時半に初診予約が取れて、診てもらうことになった。まだ身体が動く内にどうにかしたいと思った。そうして、昨日の日記に繋がる。適応障害で休職1ヶ月。

 

4年前の夏、別の会社に居た頃にも適応障害で1ヶ月半ほど休んだことがあるが、今回はまだその時に比べて症状が軽い。食欲は普通くらいあるし、眠れてもいる。職場のことを考えなければ気分は比較的落ち着いているし、買い物に出かけたいと考える気力も体力もある。1ヶ月後、自分がどんな生活をしているのか全くわからないが、原因となっている職場と縁を切っているのが一番健康に良いと思っている。

 

再びの冬になってしまった人生へまた春を呼び込めるように。できる限り食べたいものを食べて、たくさん眠って、忙しくてできていなかった趣味を楽しんで、心に栄養を取り込みたい。