片道切符で漕ぎ出して

なんだか唐突に春が来てしまったらしい。「らしい」などと他人事のような表現をするのはあまりにも唐突だったからで、現実が通り過ぎていく速度があまりにも早すぎて未だに実感が湧かないからだ。今年は桜の開花が例年より早いしついでに散り始めるのも早そうだが、私の現状とあまりにも重なり過ぎている。生き急いでいる。最近攻略したソシャゲのとあるキャラクターの育成ストーリーで、彼女は周辺から「生き急いでいる」ようだと言われていたが、周囲に何も相談することなく人生の決断をしてしまうような人間は皆揃ってどこか冬の終わりを待ちわびているような、春に希求するような瞳をしている。私の表情が他人から見たときどう映っているのかは知らないが、生き急いでいるとは自分でも思っていて、だけど生き急いだからこそ掴んだ結末を、最期まで責任を持って愛し抜きたいとも思う。

 

思えばずっと、誰かの視線があることが怖かった。自分の望んだものが周囲と違っていることに気づき始めた学生時代、強烈な違和感を抱いて、思えばそこから自我を探す旅は始まったのだと思う。自我、自意識、主体性。これらは私の人生において欠落していたものたちで、それがどんなに滑稽で奇天烈だとしても、自分の意志で選び取ることをしてみたかった。選ぶ生活を送りたかった。一人旅をしたとき、たとえばどこのお店で食事をとるかも自由だけれど、そういうところから私はいつも途方に暮れていて、だからこういう些細な生活の片隅に落ちている選択の練習を重ねて、自分に自信を持てるようになりたい。自由と責任、どこまで自分の脚で立っていられるか、いいや、きっとずっと自分の脚で立っていて見せる。冬に閉じ込められた景色に、光が差した。たったひとつの大切な存在のために飛び出す選択をすることを、間違いにも負けにもしたくない。私の人生における最高の誉にしてみせる。