開かれない遺書

いま仕上げたい文章が同時にいくつも存在していて、どこに記そうとしていることも全部私の内面で間違いないんだけれど、書こうとしていることが全く違う内容やテーマだから、本当の私はどこにもいなくて、今見ているものや感じているものももしかしたら全部嘘かもしれないななんて考えている。大人になればなるほど内面の乖離について考える瞬間があまりにも多くなり、話してみると世間一般的にはそのようなことはまず考えずに過ごしている人間が多いことを知って、私がいつもさみしくて何かから置いてけぼりだと感じる一因はそこにあるのだと思う。

 

自分の脚で立ちたいけれど、もしかしたらもう一生叶わない目標かもしれないななんて最近はそこそこ絶望している節がある。一瞬だけ春を見た気がしたけれど、そんなものは私にはなかったんだと痛感する。一生冬のホワイトアウトした世界に生きていくしかないのかもしれない。遺書と称したアカウントを持っているけれど、重ねてきたつぶやきの数々があまりにも生々しい感情で満ちているから、まだこの世界からおさらばできない気がしてくる。離れられない地獄にいる心地だ。どんなに現実がつらくてインターネットに逃避しても、誰も助けてくれないことなんて知っている。自分は自分でしか救ってあげられない。もしこの心臓が血液を送り出すのをやめて、そこで吐き続けた言葉が誰かに届くことがあるのなら、それを見た人はどんなに気分が悪いだろうと思う。生まれてきてごめんなさいを繰り返すだけの人生で終わる気がしている。この記事はタイトルからして更新が止まりそうな雰囲気があるが、私はありえないくらい臆病なので間違っても自分から息を止めることはしないと思う。お願いなので、これを見てもどこにも通報しないでほしい。きちんと明日も朝のバスに揺られているだろうから。