生きていると実感するための

唐突に思いついたアイデアを実行に移すとき、普段感じることのない高揚感が胸に宿る心地がする。生きながら死んでいるのが日常なら、私にとって正しく生きていると数えられる日は1年に何日もないのかもしれない。生きている実感を得るために、この休日はパンケーキを焼いて過ごす。

 

記憶が染みこんだ音楽を聴くと、その頃考えていたことを思い出す。2年前の夏、推しは藍色が美しい曲を発表した。彗星になれたなら。当時私は、通勤に車を使う職場に勤めていて、遅番を割り振られることが多かった。店を出て家に着く頃には23時近くになる。そんな空虚な夜、交通量の少ない道路を白の軽で走り抜けるとき、車内を無料のカラオケボックスにする。理由がわからなくても悲しい気持ちをその藍色に乗せたのなら、どこか遠い場所に行けるような気がしたから、時速50キロの景色だって私を連れ去って帰してくれないと思いたかった。帰りたくない、という感情はどこから来てどこへ行くのだろう。旅の終わり、帰りの新幹線に乗るために移動する電車の中でもそういうことを考えている。次の旅のために生きている。私は私を置いていきたいから旅をするのだと思う。

 

うまく生きていけないから文を書くことでしか自分を救ってあげられない。心が錆びて動かなくなる前に、トムヤムクンに牛乳を入れて食べるし水族館巡りもするし、ひとりぼっちの家に帰る日常を手に入れたい。孤独の中に愛したい日々と理想を詰め込んで、誰にも見つからない隅っこで生きていく。