生きていると実感するための

唐突に思いついたアイデアを実行に移すとき、普段感じることのない高揚感が胸に宿る心地がする。生きながら死んでいるのが日常なら、私にとって正しく生きていると数えられる日は1年に何日もないのかもしれない。生きている実感を得るために、この休日はパンケーキを焼いて過ごす。

 

記憶が染みこんだ音楽を聴くと、その頃考えていたことを思い出す。2年前の夏、推しは藍色が美しい曲を発表した。彗星になれたなら。当時私は、通勤に車を使う職場に勤めていて、遅番を割り振られることが多かった。店を出て家に着く頃には23時近くになる。そんな空虚な夜、交通量の少ない道路を白の軽で走り抜けるとき、車内を無料のカラオケボックスにする。理由がわからなくても悲しい気持ちをその藍色に乗せたのなら、どこか遠い場所に行けるような気がしたから、時速50キロの景色だって私を連れ去って帰してくれないと思いたかった。帰りたくない、という感情はどこから来てどこへ行くのだろう。旅の終わり、帰りの新幹線に乗るために移動する電車の中でもそういうことを考えている。次の旅のために生きている。私は私を置いていきたいから旅をするのだと思う。

 

うまく生きていけないから文を書くことでしか自分を救ってあげられない。心が錆びて動かなくなる前に、トムヤムクンに牛乳を入れて食べるし水族館巡りもするし、ひとりぼっちの家に帰る日常を手に入れたい。孤独の中に愛したい日々と理想を詰め込んで、誰にも見つからない隅っこで生きていく。

 

 

 

 

 

 

自分の脚で

2年前、何も大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをして笑うことが常だった。人気の少ない20時のカップラーメン売り場は張り裂けそうになる胸を自由にするには最適で、高く積まれた商品もしくは派手な立体ポップのうしろで私は声を殺して泣いていた。人が来たら目に力を入れて涙を引っ込める。

 

何も言わないということは即ち大丈夫ということと社会では見なされる。インターネットで「”値上げしてもみんな買っている”なんてのは”生きているから死んでいない”と同じみたいだ」と言っている人を見たが、「働けているからみんな元気」も同じようなものだと思う。もしかしたらいつも笑顔のあの人が抗不安薬を飲んで出勤しているかもしれない。大丈夫を演じていたらいつしか本当に大丈夫になるシステムが構築されないだろうか。

 

今いる職場では定期的にミーティングが開催され、業務の効率化を図る文化があるが、最近はその度にあたらしい業務が追加されていく。正直大丈夫ではない。だけれども、隣にいる人に「私は全然余裕です、あなたもそうですよね?」なんて同意を求められたら「正直キツいです」なんて言えるはずがなかった。昔一度だけ「正直キツいです」と言ったけど、困惑の色を見せられたから申し訳なくなってしまって、それ以来私はいつも「大丈夫です」と答えてしまう。言わない意見はないのと同じ、そういう大人たちの中で私の幼稚な部分が露呈する。気づいてほしいのに何も言えない。子どもみたいだ。

 

どこからSOSを出していいのかわからなくなっている。あなたのキャパと私のキャパは違うから、処理できる量にも違いがある。思い悩む友人に「つらいと思っている自分を認めないことだけはしないであげて」と言ったばかりなのに、私は私自身にそれができない。早く開き直るか大丈夫になるかしたい。本当は自分の脚で立ちたい。アンドロイドに生まれ変わりたい。

灰色の隙間を割る光だ

思い返せば灰色の空、曇り空を写真に撮ったことはこれまでなかったように思う。夕焼け、夕暮れ、藍色に染まった街。いろいろな空は撮ってきて、その中に雲はたしかに存在していたけれど、雲を主役にした空を美しいと思えたことがないのがその原因な気がする。ごめん、でも今日の空で考えなおした。灰色は綺麗な色だと思う。

 

5月なのに30度近くまで気温が上昇した昨日と打って変わって、今日の夕に吹く風はほんの少しの清涼感を含んでいた。湿度が控えめの日は髪がぺたんこにならないから嬉しい。そういえば、今度出かける週末は湿度がすごそうなのに未だに湿度対策の新アイテムが見つからない。先週、何年も前に使用期限の切れただろう耐湿クリームを塗ったら意外とさらさらな髪を手に入れられたので、もうそれを使うことにする。

 

ほとんどを雲に覆われて、ほんの少しの隙間に見える青と太陽の光を宿した空は、まるで自分の人生みたいだ。気づいたら曇っていて、光はずっと遠い場所へ行ってしまった。かといって真っ暗でもないから、まだやり直しは効く、そんなところが。往生際が悪いと言えばそれまでだが、人生をこれ以上諦めたくない。差し込んだ光に縋って、みっともなくても、1年後どうしているかすら見えなくても。青空と太陽を遠いだけの存在にする諦めをせず、それを追いかけることをしてみたい。

 

 

 

あの日見ていた景色を

もうなんにもわからないけれど、これを書き始める5分ほど前、どこかに行ってしまいたいと強く思った。割といつもそういうことを考えている頭だけれど、今日はいちだんとその気持ちが強くて、もし仮に私の身体が家を持たない野良猫だったら、この21時の夜へ簡単に消え失せていただろう。

 

大学3年生の夏、私と友人はインターンシップの話をしながら帰りの電車に揺られていた。2年後に社会人として働いているなんて、当時の私たちにはまるで想像がつかなかった。中学生が職業体験の行き先を決めるような気分で、どこに申し込む?そこ定員少なくない?とか無邪気に盛り上がった。そうして、いつか本当に社会人になっても気軽に連絡してね、ちょくちょく会ったりしてさ、互いの近況なんかも話そうねと笑い合ったのを覚えている。2019年のことだった。

 

世界が新しい常識に飲みこまれた2020年の春、私たちは社会人になった。これまで普通だったものがいっぺんいひっくり返されて、できることとできないことが区別されて、そうして私たちは離ればなれになった。ちょくちょく会おうね、2019年に交わした約束は遠い昔の出来事のようで、あの帰りの電車の窓から眺めた風景もきっとそうして記憶の彼方に溺れていってしまうのかもしれないと思った。ホームで開くドアから入ってくる夏の風や蝉の声も、なんにも嘘なんかじゃないのに、時間の流れは残酷な呪文を唱えて、それらをおとぎ話に変えていく。こんなのってあんまりだ。瞼の裏に残る景色だけが本物になる。

 

明日の天気を調べたら、降水確率は30%の曇りときどき晴れになると出た。無邪気だった学生時代をなぞるように、その頃と同じ電車に乗って出掛けてもいいかもしれない。隣の座席に友人はいないけれど、きっと私が2022年の色であの日見ていた景色を描いてくるから。まもなく最高気温は25度を迎える。今年も茹だるような暑さがやってくるのだろう。

透明になるのは居場所ではなくて

思い返せば中学生の頃には既に、自分が周りからどう思われているかが気になって仕方なかったと記憶している。生活班のメンバーの印象を書き出してみよう、という授業を受けた記憶があって、それは確か中学1年次の出来事だったと思う。中学1年生の私は、同じ小学校で過ごしてきた仲良しの子たちとクラスが分かれてしまって、毎日不安と寂しさの中で息を殺していた。悪目立ちしないことが重要で、そこに私の意思や人格はあって無いようなものだったと思う。クラスも、はたまた部活の人間関係も終わっていて、八方塞がりってこういうことを言うのかもしれなかった。

 

息を殺して生活するのが癖になってしまったのだろうか。家にいても、学校にも職場にも私の居場所らしい居場所があったと感じられた瞬間はとても少なく、いいなと思えた社会生活の場というのは音楽教室くらいなものだった。ある程度本音で話さなければ、誰かとの関係性は進展していかなくて、私は昔からそれをするのがとてつもなく苦手であると感じてきた。人の心の垣根を越えるのは難しい。気軽に話していい話題はどこからどこまでなのか、見極めている内に時間が流れて、気づけばそこに居場所はなくなっている。

 

そう感じているのは自分だけかもしれないと思って10年が経った今、少しだけ救われる物語と出会った。彼女は好きな女の子に、気軽に本音を教えてほしいと言われるけれど、自分はそんな上手に感情と言葉をリンクさせられないからそれは難しいことと思っている。見えるものが尊重される世界の中で、形にならずに秘められているものはどこまで尊ばれるだろう。昔見た映画で、登場人物が「言わない意見はないのと同じ」と吐き捨てたのを見て以来、それは棘となって刺さったままだ。話すのが下手じゃなかったら、居場所もわからなくならなかったのだろうか。

 

小学生や中学生の頃は、そんな考えすぎる性格もあってか「大人びてるね」と言われることもあった。だけど、割り切ることもそのままの自分を認められもせず、捻くれて育っただけの私は今、私史上最強に幼稚なのだろう。

 

今日も職場に居場所を見つけられず、さらには自分自身の気持ちを傷つけた結果、明日の昼に食べるパンを買わずに帰ってきた。こういうのをセルフネグレクトと言うのかもしれない。買い置きの栄養食を齧っておけば倒れないからそれでいい。どうせ働くのなら、食事をしないでも生きられるアンドロイドに生まれたかった。

不出来を優しさで着飾ること

いま、人生でいちばん髪の色が明るい。顎の辺りで切り揃えられたボブ、アーモンドにもミルクティーにも見える色。一度もブリーチの経験がない髪でもここまで明るくなれるのだと知った。

 

髪を初めて茶色に染めたとき、これでようやく生まれ変われるような気がしたのを覚えている。その感覚は染め慣れた今でもあって、今回はオレンジブラウン、今回はカーキグレージュなどと魔法をかけてもらうたびに新しい自分を見つける。黒じゃないのなら、黒以外であれば、暗くて後ろ向きな性格を誤魔化せると思っていた。

 

今の職場になって1年と少しが経過したけれど、全く馴染めたとは思えない。社会人の採点方式を100からの減点式だと思っているから、何かひとつ失敗をするたびに呼吸が遠のく心地がする。

 

注意不足で面倒な仕事を増やしてしまったとき、一度やったことのある仕事のやり方を忘れてしまったとき。そういうものが発生したとき、呆れられているような気がして堪らなく怖い。明日こそ見放される。1年後にここの場所にいていいと思うだけの自信がない。

 

この日記は何日も寝かせながら継ぎ接ぎにして少しずつ書き足しているけれど、この一文を書いている今日だっていくつもの失敗をしてまた社会人ポイントが減点された。もう削れるところなんてないくらいに削れているが、それでも削れるものは削れていく。また1つ、私は職場の人から不満と呆れを引き出している。

 

起きた時に身体が重くて、なんでもないときに涙が出て、歌を歌っても悲しいとき、私の心は限界だと訴える。まだそうなってはいないけれど、早いうちに開き直るか別の場所へ旅立つかしないとまたあの暗い日々に戻ることになるだろう。

 

異動していった人から貰った「ありがとう」のメッセージ付きクッキーを見たら泣いてしまう気がする。仕事ができない人間に優しくしてくれる人間は貴重だから、もっと優しさを返したかった。3月の匂いを抱いたままで、加速していく4月の渦が苦しい。

 

静かに諦めることを

貰ったお菓子が美味しかったとき、社会につなげてもらっているんだなと実感を得る。三が日は駆け足で過ぎ去って、いつも通りの日々が呼吸を始めた。

今年に入って初めての雨が降った今日、最高気温も恐らく今季最低を記録している。予報だと7度。上空の気温がさらに冷えて、私の心の真ん中も満たされたらやわらかい雪が降ってくるだろうか。

11月に会った友人は北海道の人だった。15度ほどになった東京が寒い、自分の暮らす街はまだ下手したら20度くらいあると訴える私に「20度なんて9月頃の気温だよ」と笑っていた。同じ日本に住んでいても、気温が少し違うだけで全く異国のように思えてくる。この街が10度を下回る今日、彼女の街は一体どのくらい冷え込むのだろう。踏んだことのない北国の地、1月を想像する。いつかそちらに行く機会もあるのだろうか。

最近は元気と憂鬱を行ったり来たりしている。朝起きた時に胸を覆うぼんやりとした哀しさと闘いながら、忙しさで周りに優しくできない自分へ絶望しながら生きている。2021年は生きることが少しだけできるようになった一年だった。他人から見たら全く進歩していないと思われてしまいそうだが、それでも私が進歩できたと思うのだからそれで勝ちにしていいだろう。2022年はどうしたいだろうか。このままがいいだろうか。それとも進みたいだろうか。気付いたら紅白を見ている。時間の流れ方が年々加速していく。誰にもわからないし埋められない孤独を抱えていても、全部諦めて微笑むことができるようになりたい。