誰でもいいから助けてと願ったあの日の

職場でひとりにされてしまうことの心細さを知っている。

仕事帰りに美容院で前髪を切ってもらっていた。17時過ぎの店内には私ともう一人のお客さん、さらに電話の向こうのお客さん。絶対大変だと思う。それらを全部自分だけで対応する美容師さんを見ていることしかできなかった。他の美容師さんは皆帰っちゃったんですと笑っていたけれど、その言葉の裏に「助けてほしい」というメッセージが隠れていた気がする。店内に足を踏み入れた時、人の気配があまりしないと思ったのはそういうことだった。助けてあげたかった。"大変"を減らしてあげたかった。

美容師さんは私と歳が近くて、それだからなのかちょっとした知り合いのような親近感を私は美容師さんに抱いている。おすすめのラーメン屋さんの話とか今日のマスカラ、オレンジ色ですか?とか、お客と美容師という関係の中に心温まる時間をくれる人だから、私はそんな美容師さんに髪を手入れしてもらう時間を好ましく思っている。それだから、手を差し伸べたかった。だけどただのお客である私にできることはない。せめて無事にお仕事を終えて帰宅できますようにと願うことくらいしか。

別の仕事をしていた頃、雨が滝のように降りつける朝に店の鍵を開ける仕事に当たったことがある。それもまだ入りたての頃に。「鍵番」と呼ばれていたその仕事は、他の誰よりも早く出勤する。いろんな場所の鍵を開けて機械を立ち上げて………というのをやる。倉庫のシャッターやトイレの鍵の解錠、業務用パソコンの起動。「鍵番」の仕事は難しくはなかったけれど、そんな土砂降りの日を引き当ててしまった私は、泣きそうになりながら従業員用の階段を上っていた。脆弱な屋根を叩く雨粒の音と吹き付ける強風、分厚い雨雲に覆われて光が差さない朝6時半。店舗裏の細い道路は20㎝程の水位で川になっていて、長靴を履いじゃぶじゃぶと音を立てて歩いた。
そういうものぜんぶに怯えながら薄暗い従業員スペースの明かりをつけ、ロッカーに荷物を詰め込みながら(誰でもいいから早く来て、私を助けて)と願ったあの日の記憶がある。一方でここは明かりのついた店内なのに人の気配が少ないなんて、誰にも助けてもらえないなんて。案外近くに絶望は転がっている。これだから現実はいつも苦すぎて、暮らしも労働もファンタジーになればいいと思ってしまう。

2年目の職場で奮闘する友人から異動になるかもしれないと連絡を受けた。友人が今の職場でずっとつらい思いをしてきたのを知っている。残業をしてもほとんど申請はできないとか、辞めたくても気力すらないとかたくさん話を聞いていた。だからどうか、次の場所ではどうか少しでも心穏やかに仕事ができますようにと願う。誰かの頑張りによって回る世界だけど、その頑張りのためにその人自身が潰れてしまわないように。「誰でもいいから助けて」と願う状況が生まれる世界であることに悲しさを感じる。それでも瞼が開いて今日が始まるから、少しでもご機嫌で過ごせるようにと思う。