海底で息ができたら

灰色に沈んだ街は冷たい雨が降っていて、車の走る音がいつもより聞こえないような気がしていた。先週まで30度近くあった気温はあっという間に下がって、ここ数日は最低気温が15度を下回る日もある。あんなに秋が来るのを待ち望んでいたのに、いざ寒くなってみれば文句だなんて我が儘がすぎるんだけど、びっくりするものはびっくりするのだから許してほしい。季節に対してだけじゃなくて、周りの人たちに対してももう少し我が儘に振る舞えたら呼吸が楽にできるだろうか。

 

薄い布団2枚を重ねて眠るようになってから、やさしい夢を見るようになった。昨日はパン屋さんに行く夢、今日はコンビニでカップラーメンを選ぶ夢と女王蜂のアヴちゃんと一緒に遊ぶ夢。夢の内容を覚えておくのは年々難しくなっている気がしていた私にとって、見た光景の色まで鮮明に覚えていられたことは素直に嬉しい。夢は誰かにとっては些細なものかもしれなくても、それを見た私にとっては宝物で愛おしい。パンはクロワッサンが好きだしカップラーメンはQUTTAが好きで、女王蜂の曲は夜天が好き。そういえば先月はプリキュアになる夢も見た。プリキュアになる子の年齢はだいたい中学生くらい。中学生になるのなんて遠い未来の出来事だと思っていた小さな私は、あっという間に時を重ねて二十歳すら超えた。重ねていく時間の果てに私は何を手に入れるんだろうかといつも想像するけれど、何も手に入れられないような気もしている。人間になれないまま人間をやっている。人間のふりをするのはいつも疲れる。友人が心にピューロランドのキャラクターを住まわせていると言っていたけれど、それとこれは同じような苦悩な気がしている。みんなピューロランドの住人だったら世界はもう少しやわらかかっただろうか。2年前の夏、ピューロランドに行ったとき私はまだ学生だった。遠い昔の出来事のように思う。シナモンのカレーが食べてみたかったけれど青いカレーというものに怖じ気づいて、食べたのはポムポムプリンのオムライスだった。

 

ピューロランドもいいけれど、最近はずっと水族館に行きたい。幼い頃からそれなりに水族館は好きだったけれど、成長した今は癒やしが欲しくて水族館へ行きたいと思っている。海を模した小さな世界に閉じ込められた魚たちを無邪気に見つめていた少女はもういない。代わりにいるのは大人になりきれないおとなの私だ。日常の喧噪から離れて、見知らぬ街へ行きたい。私を知る人が誰もいない場所へ行きたい。今居る場所だけが全てじゃないんだと思いたい。頭上を往く魚影、暗くて数メートル先の相手の顔が見えない。水槽を照らす僅かな照明に鱗が光る。そうやって自分も海の一部になって沈む感覚が欲しいから、水族館が好きなのかもしれないと今では思う。暗い海の底へ沈めば眩しいものは見えないんだろうけど、誰かが明かりを灯しに来てくれたらほっとするのかもしれない。ひとりになりたいと言いながら、結局誰かを求めている。そろそろ素直に生きたい。