誰にも自分のことを知られたくなくて、何度も何度もSNSのアカウントを作り替える癖がある。友人がこの現象を「垢爆破」と呼んでいたから、私もそれに倣ってそう呼ぶことにしている。垢爆破。私の人生も丸ごと爆破できたならどれほど痛快だろう。最近は寝ても寝ても眠たくて、人間にも冬眠が必要なんだと考えている。窓の外に積もる景色が一面の銀世界でなおかつ凍えるほどの寒さだと知ったら、私はきっと一生布団に包まって部屋の外へは出ないと思う。冬を越せない。春は来ない。日は差さない。「Phantom Spring」という曲に「桜が泣いている わたしたちの春は紛い物、紛い物だから」という歌詞があるのが好きだ。私の人生における今も、まだ春なんか訪れていなくて、実はホワイトアウトした吹雪の中にいるんじゃないか。
退勤時間まぎわに厄介な仕事が舞い込んだとき、自分の中にいる汚い人格が出てきて少しだけ冷たい態度を取ってしまっているような気がする。笑顔の中に少しだけ語気の強い温度をにじませて会話を終えさせてしまったときだとか、疲労を隠せず平静を取り繕えなかったときとかに(ああ、やってしまった)と瞬間に後悔する。Twitterでフォローしている人が昔「自分の人生はどれだけ他人に優しくできるかだけの実験」ということを言っていた気がしていて、初めてそれを見たとき私は正直どういうことなのかわからなかった。だけど今ならそれはこういうことなのかもしれないと想像ができる。社会人を始めてそろそろひとり立ちする年数だけど、未だに右も左もわからない。
こういうとき人生について考えるのは絶対に良くないのに、しかしだからこそ考えてしまうから私は仕方のない人間だと思う。考えるべきことを考えられなくて、考えなくていいことばかりに頭を悩ませている気がする。10年来の友人にどうしようもない気持ちをLINEで打ち明けたら、出られなかったけれど電話を掛けてきてくれた。私の悩みも人生も彼女にとって薬になんかならないのに、手を差し伸べてくれるのはどうしようもなく優しすぎる。時間が経って話せないことも増えたけれど、彼女にはどうかずっと幸せでいてほしい。